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ザ・ヤングベストテン

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『ザ・ヤングベストテン』(通称:ヤンベス)は、1981年10月6日から1982年9月21日まで放送されていたテレビ東京の音楽バラエティ番組。
放送時間は、毎週火曜日19:00~19:54。当初は生放送だったが、途中から毎週水曜日に収録されるようになった。 収録はテレビ東京の第1スタジオを使用していた。 シブがき隊少年隊が司会を務めた。

かつて、1972年4月6日から1975年3月27日にかけて同局で放送されていた音楽バラエティ番組 『歌え!ヤンヤン ! !』 内のコーナー「ヤングベスト10」が、当番組の基となっている。(なお、『歌え!ヤンヤン ! !』の収録会場は主に中野サンプラザホールが使用された)
そして、『レッツGOアイドル』(通称:レッツアイ。1982年10月16日 – 1986年3月29日、毎週土曜19:00 – )が当番組の流れを受け継いでいる。

主な出演者

概要

6名の番組司会者の内、薬丸、本木、布川の3名は、番組が開始するよりも前に雑誌『週刊セブンティーン』(1981年7月28日号)にてグループ名とニックネームを公募していた。
その結果、同年9月1日号にてグループ名が「シブがきトリオ」、メンバーのニックネームが「ヤックン、モックン、フックン」に決まったが、残る3名(錦織、植草、松原)のグループ名がまだ無かったため、正式に決まるまでの暫定処置として、つり合いを取るために当番組内では当初、シブがきトリオは「Aチーム」という別名を併用し、残りの3名は「Bチーム」の名で活動していた。
そしてBチームの正式なグループ名とメンバーのニックネームを番組内で公募した。

1982年2月、「シブがきトリオ」が「シブがき隊」に改名。
一方、Bチームの新グループ名としては、「ナウイトリオ」や「ナウがきトリオ」などが候補に挙がったが、良い名前が得られなかったため、同年3月に、当時のジャニーズJr.に対して呼ばれていた別称の「ジャニーズ少年隊」が、そのままBチームの正式なグループ名となった。(ただし番組内のテロップでは「ジャニーズ」の部分が常に省略され、「少年隊」とだけ表記されていた)
そして、メンバーのニックネームにも色々な候補があったが、最終的に、ニッキ(錦織)、カッちゃん(植草)、ヤッちゃん(松原)に決まった。

同年3月23日の放送をもって松原がジャニーズ少年隊を脱退し、番組を降板。翌週3月30日の放送から東山がジャニーズ少年隊のメンバーとなった。
松原が脱退した理由は、松原だけが同年4月スタートのTBS連続ドラマ『3年B組貫八先生』への出演が決定。一方、グループの少年隊としては、TBSのバラエティ番組『ピンキーパンチ大逆転』へのレギュラー出演も決まったため、双方共に忙しくなり、松原だけがグループのスケジュールと合い辛くなるからであった。

内容は、週のベストテンの10曲を発表していく合間に、司会陣と同世代のアイドルをゲストに招いてのミニコントなどを挿入するというもの。
ランキングには演歌も入っていたが、演歌歌手本人の出演は無かった。また、当時全盛であったニューミュージック系ミュージシャンは基本的にランキングに入れられず、入ったとしてもやはり本人の出演は無く、歌われる場合はアイドル歌手たちによるカバーとして歌われた。
1982年3月30日の放送は、『春休み特集 ザ・ヤングベストテンスペシャル』と題して、拡大枠(18時30分~19時54分)で放送された。 この回から東山が出演を開始した他、シブがき隊のデビュー曲も、この回で初めて世間に発表された。




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