70-80年代アイドル・芸能・サブカル考察サイト

近藤真彦

近藤真彦
コメント

分類歴代ソロ

画像出典:Wikimedia Commons

1964年7月19日生まれ(58歳)、神奈川県横浜市瀬谷区出身、神奈川県大和市育ち。
デビュー:1979.10.26
デビュー曲:スニーカーぶる~す(1980.12.12)

こんどうまさひこ。愛称:マッチ(ジャニーズJr.時代の合宿所で、床に頭を擦り付けながら「マッチ!」と言った一発芸から寮長でもあった松原秀樹から「マッチ棒」と呼ばれ、次第に「棒」が取れ、「マッチ」のあだ名で定着)。ジャニーズ事務所旧取締役生活指導担当。レーシングチーム「KONDO Racing Team」の監督。

[関連ソロ・ユニット]

小学6年の時、近藤が所属していた少年野球チームの監督の中学生の娘が、バットを構えている近藤の写真をジャニーズ事務所に送ったことがきっかけで、ジャニーズJr.のオーディションに呼ばれ、1977年の中学1年生(13歳)の時に入所。

ジャニーズJr.時代に先輩グループ「ギャングス」の付き人を経験。
1979年9月、TBSの連続ドラマ『3年B組金八先生』の追加オーディションに合格。 同年10月に生徒役でデビュー。以降、同じく生徒役だった田原俊彦野村義男と共に、「たのきんトリオ」として活躍。

1980年12月12日、シングル『スニーカーぶる~す』でソロ歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「フライングボーイ」。このデビューシングルは、ジャニーズ事務所史上初のミリオンセールスを記録。以後、近藤は田原俊彦と共に1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。

「たのきんトリオ」としては、1981年に「たのきん3球コンサート」を開催し、第2回目(1983年)の同コンサートをもって解散。

1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。
また、「ミルウォーキー」(通称:ウォーキー。黒のマント、頭に金色のリボンが特徴)、「ホワイト・チャーム(通称:チャーム)」、「卑弥呼」(赤のハッピ、ピンク色のマントの背中に黄色で「卑弥呼」の文字、赤のマフラーが特徴)、「ストロベリージャム」(赤白ギンガムチェックの服と赤いボレロが特徴)、「影法師シャドー」(金色のハッピの上に黒のケープ姿が特徴)、「影武者」(赤いハッピが特徴)、「リトル・バニー」、「真彦隊」(ピンク色のハッピが特徴)、「キャッツ」、「キャンドル・ボックス」、「Milk Girls」、「ロンリー・ポップ(通称:ロンポ)」、「ピエロ」、「クリエイト」、「パピット」(ピエロ襟が付いた紫の服と黄色いファーのカチューシャが特徴)など、ファンによる数々の親衛隊が作られ、中には男性ファンだけの親衛隊「近藤隊」(学ランと黒ハチマキが特徴)も存在した。(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった。また、主要な応援グループが一気に集結し、1982年4月29日放送の『ザ・ベストテン』で「ふられてBANZAI」を歌う近藤を囲んで応援する様子が放送された)
ステージ用の応援コールとして、
「L・O・V・E 近藤真彦 ガッツ根性フライングボーイ アイムハッピーナイスデー セクシーデイモスオンリーユー」、
「M・A・S・A・H・I・K・O グレートシンガー近藤真彦 セクシーデイモスオンリーユー」、
「L・O・V・E 近藤真彦 真夏を独占 やるっきゃない!」、
「G・U・T・S 近藤真彦 アダルトタッチのセクシーボーイ ま~っさひ~こ~」、
「この世の大将ただ一人 近藤真彦あんたが大将」
なども作られた。

1984年に「日産レーシングスクール」に通い、国内A級ライセンスを取得。同年6月、富士スピードウェイで行われたアマチュアレーサーの登竜門「’84 富士フレッシュマンレース」に参戦してレースデビュー。その後レース活動を継続。

1986年、近藤の母親が飲酒運転でガードレールと電柱に激突し死去。翌年、母親の遺骨を盗んだ犯人から日本レコード大賞辞退の脅迫電話があり、遺骨盗難事件が発覚(未解決)。その年近藤は22thシングル「愚か者」でレコード大賞を受賞。

週刊誌「FRIDAY」1989年2月24日号にて、松田聖子と近藤の密会キス写真の掲載が引き金となり、近藤と6年間交際していた中森明菜が、同年7月11日、六本木の近藤の自宅マンションの風呂場で左腕の肘の内側をカミソリで真一文字に切り、自殺未遂を起こす。6時間にも及ぶ手術の末、一命を取り留めた中森は同年の大晦日の22時過ぎに緊急復帰会見を行い、近藤も途中から同席。

なぜ会見場のバックが婚約や結婚を思わせる金屏風だったのか、なぜ会見がNHK紅白歌合戦の真裏の時間帯に急遽行われたのか、なぜ中森が長年在籍した大手事務所の研音から独立することになったのか、なぜ設立した中森の個人事務所「コレクション」が1年ほどで消滅してしまったのか、全ての真相は藪の中で、これら一連の騒動は「金屏風事件」という呼び名で芸能史に記されている。
会見を機に2人は破局し、近藤はカーレースを続行するも、本業の芸能活動は表舞台から遠のいていき、中森は復帰はしたものの、芸能活動はいまだ失速したままである。

上述の中森明菜、松田聖子の他、アニタ・ムイ(1986年)、浅香唯、橋本美加子(演歌系アイドル)らとの交際を経て、1994年6月に、九州でタクシー会社を経営する資産家の家庭で生まれ育った、元OLの和田敦子(後に「日本マタニティフィットネス協会」のディレクター兼ヨガインストラクター)と極秘入籍。同年11月24日になって結婚発表の会見を開いた。 和田とは、月丘夢路の娘・井上絵美を通じて出会った。
なお、アニタ・ムイは2003年12月30日に子宮頸癌で40歳の若さで逝去。近藤は香港で行われたアニタの葬儀にも出席した。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲『挑戦者』をリリースし、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として25周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。

近藤が第一線で活躍した時代を知らない若いファン層が大多数になりつつある中、2014年12月31日の『ジャニーズカウントダウンコンサート』にて近藤は、後輩タレントを差し置いて自分の持ち歌を13曲も披露する独演会を行い、当日会場に行った若いファンたちからは「ジャイアンリサイタル」と呼ばれ、猛烈なひんしゅくを買ってしまう事態となった。

2016年12月、和歌山県・南紀白浜のビーチの近くに、讃岐うどん店(夜は居酒屋)の「白熊」をオープン(Instagram)。運営元は近藤が社長を務める会社「エムケイカンパニー」名義。近藤にとって南紀白浜は、2000年代初頭からクルージングなどで度々訪れ、別荘まで借りていたほどの馴染み深い場所だった。うどん店のメニューも、近藤が考案した。

2020年11月16日、不倫発覚に伴い、無期限の芸能活動自粛処分となり、ジャニーズ事務所の長男と言われるも、謝罪会見がないまま、2021年4月30日に退所。

以下はその詳細。

2020年11月11日、文春オンラインにて、25歳年下の女性(当時31歳、オーダースーツの会社の社長)と、5年間に渡って不倫を続けていたことが発覚(雑誌『週刊文春』へは翌12日発売の11月19日号に掲載)。近藤は不倫相手と沖縄でゴルフ旅行をしたり、レース現場にまで連れてきていた。そして近藤は相手の女性に対し、「(スキャンダルを)揉み消せる権力を俺は持っている」と発言していたことも報じられた。
女性とは2015年3月に会食で出会い、近藤から一目惚れして猛アタック。当時、女性には同棲していた男性が居たため、略奪する形となった。近藤のレギュラーでの仕事はラジオ番組が2本、CMが1本のみだったが、ジャニー喜多川メリー喜多川の配慮でジャニーズ事務所の関連会社「ジャニーズ出版」の株を多く譲渡されており、毎年高額の配当を得ていて、年収が3000万円超えであることもこのスキャンダルによって露見した。
この報道を受け、近藤はメリー喜多川に相談。同年11月17日午前0時、ジャニーズ事務所の公式サイト「Johnny’s net」にて、芸能とカーレース両方の無期限活動自粛を発表した。各テレビ局は、文春の記事が出た時点ではいつもの様にジャニーズ事務所に忖度して一切報道しなかったが (他の事務所のタレントの場合は記事が出ただけでも取り上げる場合が多々ある)、活動自粛が発表されたことでようやく各ワイドショー番組でも取り上げられた。近藤はこの年、歌手デビュー40周年で、多くのテレビ番組への出演や、12月11日・12日には40周年ツアーの最終公演も予定されていたが、全て中止となった。 CMも放送中止。 2本のレギュラーラジオ番組も、休止の後に終了となった。
この醜聞は海を越えてアジア各国でも報じられたが、親日のはずの台湾メディアでは過去の恋愛スキャンダル(中森明菜やアニタ・ムイ)も相まって、近藤に対して「史上最低のクズ男」、「日本芸能界の最悪男」などの猛バッシングが展開された。

その後、謝罪会見が一度も行われぬまま、謹慎中だった2021年4月中旬、事務所に「これからの人生、自分の責任において芸能とレースの道を歩んでいきたい」と申し出て、同月30日付でジャニーズ事務所を自主退所。これに対しメディアでは、「逃亡退所」や、近藤の楽曲タイトルとかけて「ケジメのない愚か者長男」などと報じられた。
近藤が発表した短い退所のコメントには、これまで支えてきてくれたファンに対する感謝の言葉や、明確な退所理由の説明も無かったため、芸能リポーターの井上公造は同日放送の報道情報番組『キャスト』(ABCテレビ)で、後輩の東山紀之は5月2日放送の『サンデーLIVE ! !』(テレビ朝日)でそれぞれ苦言を呈した。ネット上でも、膨大な数の辛辣な意見で溢れかえる事態となった。

2021年5月16日、大分県で開催された「スーパーフォーミュラ」第3戦にて、レースチームの監督業に復帰。

2021年9月7日、ラジオ番組『松井佐祐里“new normal”の小部屋』(文化放送)に録音コメントを寄せ、芸能活動を再開。 同月28日より同局で近藤の新ラジオ番組『近藤真彦 RADIO GARAGE』がスタート。

2021年10月、近藤が南紀白浜で経営する讃岐うどん店「白熊」の店長が、GoToEatキャンペーンのクーポン券のシステムを悪用し、最大60万円前後を不正受給していたことが発覚。

2021年11月2日、中野サンプラザホールにてコンサート「Masahiko Kondo ReSTART 20+21+1×1-2」を開催 (昼夜2回公演)。当日は近藤の妻子と、植草克秀大沢樹生正木慎也が観客として訪れた他、錦織一清と植草克秀からは祝い花が届いた。




歴代ソロ

 

情報提供・コメント

タイトルとURLをコピーしました