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大沢樹生

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分類歴代ソロ

おおさわみきお。1969年4月20日生まれ(53歳)、東京都文京区本郷出身、江東区大島おおじま育ち。
本名:大澤樹生。「光GENJI」の元メンバー。別名義:東京ジョー。愛称:ミッキー、ケロヨン(田原俊彦が「カエルに似てる」という理由で呼んでいた)。異名:目殺師(自ら「目で殺す」「目殺師」と称するくらいの鋭い目つき(ロゴマークとして自らイラスト化した目も度々描いている)と、長身にキリッとした顔立ちで、「正統派二枚目」と呼ばれていた)。俳優の小西成弥は親戚。

[関連ソロ・ユニット]

幼稚園の時に、近所のおばさんによるグループ応募で、テレビの子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』(フジテレビ)と『おはよう!こどもショー』(日本テレビ)に出演。

小学校高学年の頃は、非常に素行不良で荒れた生活を送っていた。小学4年の時に横浜銀蝿のコピーバンドを結成。ランドセルをペシャンコに潰し、毎日リーゼントヘアで登校していた。音楽の授業では、歌のテストの時に本来の課題とは違う「かえるのうた」を勝手に歌うなど、個性の強い子供であった。後に大沢自身も、「小学生の時が人生で一番悪かった。芸能界に入って救われた」と語っている。

宝塚や田原俊彦のファンだった姉が、大沢の履歴書をジャニーズ事務所に送ったことで、1982年1月17日 (日曜日)、小学校6年の3学期にジャニーズ事務所に入所。同期生は正木慎也と石丸志門の2名。(オーディション日、入所日について「1月10日」や「1月16日」と書かれた文献が存在するが、いずれも誤り)

1983年3月25日、「イーグルス」のメンバーとしてレコードデビュー。しかし、同グループは後に自然消滅。その後は、NHK『レッツゴーヤング』にレギュラー出演し、「サンデーズ」の一員として活動していた(1985年5月 – 1986年4月13日)。
サンデーズ時代には、ファンによるステージ用の応援コールとして、「ワイルドボーイ 大沢樹生 ちょっと気になるミ・キ・オ」というコールが作られた。

バックダンサーの仕事ばかりが続き低迷していたことに悩んだ末、1987年春、ジャニー喜多川に電話をかけ、「ジャニーズを辞めさせて下さい」と申し出た所、「You、ローラースケート興味ある?興味なくてもやってみない? スターになれるよ」と誘われる。それに応じた結果、イーグルスのメンバーだった内海光司と共に、1987年8月19日、「光GENJI」として再レコードデビューを果たした。

ある年の正月、紅白歌合戦の出演を終えて帰宅した際、ちょうどテレビで放送していた映画『ドアーズ』を観て衝撃を受ける。それ以来、ジム・モリソンを好きになり、「俺はこういう風にならなければ」と思って、光GENJIから脱退することを決意。そして1994年8月31日、佐藤寛之と共に光GENJIを脱退、およびジャニーズ事務所を退所。退所の際、ジャニー喜多川からは、「外に出ても負けるなよ」と言われた。

週刊誌『FOCUS』(1994年10月26日号、新潮社)にて、丸坊主になって酒浸り生活を送っている退所直後の大沢の姿が掲載される。

1995年、個人事務所「サクセス」と、ファンクラブ「MOST」を設立(MIKIO OHSAWA SUCCESS TRYの略)。
以降、俳優業の他に、ソロ歌手としても1st.シングル『悲しみの華を散らして c/w 戻らない夏の日』(ポリドール、1995年5月25日発売)をはじめ、シングルやアルバムを数枚リリースした。

私生活では、1996年6月28日に女優の喜多嶋舞と授かり婚(当時妊娠3ヶ月)。翌1997年1月14日に長男・零次が生まれる。

2001年春、ファンクラブ「MOST」を解散。

2005年9月20日、喜多嶋舞と離婚。一人息子の親権は喜多嶋側にあったものの、息子の学校のことを考え、生活は大沢としていた。その後、喜多嶋の再婚に備え、2007年1月15日、大沢に親権が移動する。

2006年10月に「フロム・ファーストプロダクション」から独立し、翌11月に個人事務所「ドリームフォープロモーション」を設立。俳優業と社長業を兼務するようになる。
同年11月1日には、大沢の芸能生活25周年記念と、「ドリームフォープロモーション」の設立記念を兼ねたパーティーも開かれ、京極夏彦、明石散人、出久根達郎、白川道、新堂冬樹、マジシャンのMr.Color、他多数の著名人が参加した。また、この日のサプライズゲストとして、かつての盟友・山本淳一も駆けつけた。

同年11月14日、「ワールドプレミアムボクシング イーグル京和・長谷川穂積 ダブルタイトルマッチ」にて国歌独唱をした。

2007年8月には、大沢が初めてプロデュースした映画『怪談 牡丹燈籠 もっともっと愛されたかった。』(監督:吉田剛也)が公開。この作品には、当時はまだ大沢の息子だった零次も出演した。また、俳優業と社長業の兼務以外にも、俳優養成学校の講師やアパレルブランド「STREET STAR JAPAN」(略称:SSJ)の設立など、精力的に活動を展開。

2008年2月、パチンコ攻略法提供会社「(株)日本リサーチ攻略データバンク」のイメージキャラクターに就任。

同年4月26日、15歳年下の早耶香さんと再婚。出会って4ヶ月、付き合って2ヶ月のスピード婚で、同年秋に披露宴を行った。
更に2009年7月21日放送の『有名人が集まる結婚相談所スペシャル』(日本テレビ)に夫婦揃って出演。当番組には山本淳一も祝福に駆けつけ、光GENJI以来のテレビ共演となった。

2009年頃より長崎の街を気に入り、頻繁に訪れるようになる。そして2010年9月には長崎の街を応援する「大沢樹生 長崎後援会」なるものも発足し、入場無料のチャリティトークショーを行った。

2011年5月25日、「東京ジョー」のアーティスト名で、実に13年ぶりとなるシングル『ガキの戯言』をリリース。

2012年4月1日、オフィシャルファンクラブ「ROUTE 420」を開設。

2012年、3ヶ所で行われた「あなたの心をワクワク 夢コンサート」の夜の部に出演。この3回のコンサートには、江木俊夫おりも政夫の2人も「フォーリーブス」名義で共演した。(2012年10月25日:中野サンプラザホール、11月1日:大宮ソニックシティ、11月9日:神奈川県民ホール)

2013年2月14日、山梨県をPRする「やまなし大使」に就任。

2013年3月より、ライブチャットのチャットレディの中からアイドルを発掘するプロジェクト「idol.tvアイドルテレビ」に、プロデューサーの肩書きで広告塔になる。そして重盛さと美と共に、オーディションの審査員を務めた。

2013年12月より、長い「実子騒動」が始まる。

2015年1月中旬、個人事務所「株式会社 ドリームフォープロモーション」の社名を、「株式会社 ミキオオフィス」に改称。

2016年1月より、株式会社ドクターズファーマの水素サプリメント「Dr’s水素セレブ」(1ケース、90粒で2万3,760円)の広告塔になった件の記事が、『週刊新潮』(2016年1月21日号)に掲載。

2016年5月1日、オフィシャルファンクラブをリニューアルし、クラブ名を「MIKIO Note」に変更。

2016年9月10日、芸能生活35周年を記念し、ライブ「Mikio.ism」を渋谷・JZ Bratにて開催。

2016年10月29日、福岡県柳川市の柳川観光大使に就任。

2018年9月、川﨑麻世とのデュオ「オッサンズ」を結成。同年11月21日にシングル『勝手にしやがれ c/w 男どうし』でCDデビュー。 A面曲は沢田研二のカバーで、振り付けは川﨑が担当。

2018年12月30日、浅草橋ヒューリックホールで行われた「シアタープロレス花鳥風月」の試合で、プロレスラーとしてデビュー。なお、プロレスの練習中に肋骨を2本骨折した。

2021年3月29日、熊本県から直送される純国産馬肉を使用した、大沢プロデュースによる馬肉料理店「樹馬 KIBA」を品川区西五反田にオープン。細川たかし、吉幾三、山本譲二、ギャオス内藤などから開店祝いの花が届いた。

2021年よりアマチュアキックボクシングにも挑戦。同年8月27日、52歳の時に、俳優の木下ほうか(当時57歳。空手「正道会館」の黒帯初段保有者)を相手に白金台・八芳園でデビュー戦を行ったが、0対3で判定負けに終わった。

実子騒動

  • 1996年6月28日、大沢と喜多嶋舞が授かり婚。喜多嶋は当時、妊娠3ヶ月。
  • 1997年1月14日、長男・零次(血液型:A型)が誕生。
  • 大沢が望まない中、喜多嶋は1998年より女優業を再開。
  • 2000年という早い段階で、雑誌『噂の眞相』(同年2月号、噂の真相)の一行情報欄に、「元ジャニーズ大沢樹生と喜多嶋舞の子供は大沢の子ではないの仰天情報」の文字が既に掲載される。
  • 2005年、喜多嶋にハイヒールで殴られて出血した長男(当時小学3年)を見た大沢が、喜多嶋と殴り合いのケンカとなる。
  • 2005年9月20日、離婚。養育費は折半。慰謝料は無し。長男の親権は喜多嶋が持ったが、実際に養育したのは大沢。
    大沢は長男を毎朝車で学校へ送り、帰りも、長男の下校時刻に合わせて午後4時には仕事を切り上げるように調整。他にも、運動会に授業参観、サッカークラブのお茶当番、地域パトロールまで、何でも積極的に参加。シングルファーザーとして、男手一つで子育てに励んだ。大沢は自分の左胸に長男の名前のタトゥーまで入れ、教育にも力を注いだ。息子が友達を泣かせてしまった際には、すぐに息子を連れて謝りに行き、息子の目の前でその友達の家族に土下座をしたこともあった。
  • 離婚からわずか1ヶ月後の2005年10月21日、喜多嶋が以前から関係を持っていた50代の歯科医と、六本木の会員制ライブハウスでキスしている現場や、喜多嶋のマンションに一緒に朝帰りする様子を、週刊誌『FLASH』に押さえられる。
  • 2007年1月15日、喜多嶋の再婚に備え、長男の親権が大沢に移動。
  • 2007年7月17日、喜多嶋(当時34歳)が、2001年にヘアヌード写真集の仕事で知り合ってからの付き合いである、東大卒で小学館勤務の男性編集者(当時42歳。初婚。飯島愛の元婚約者)と授かり再婚。
  • 2007年8月11日、大沢の第一回プロデュース作品の映画『怪談 牡丹燈籠 もっともっと愛されたかった。』が公開。同作品にて、長男が俳優デビュー。
  • 2008年1月24日、喜多嶋が再婚相手との間に女児を出産。
  • 2008年3月10日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に、喜多嶋舞と、母親の内藤洋子(喜多嶋洋子)が一緒にゲスト出演。喜多嶋に女児が生まれたことについて内藤は、「初孫が生まれた」と発言。
    確かに、「“娘が再婚した相手との間に生まれた”初孫」、という意味で受け取ることも出来ないではないが、本来、孫に対して「初」を付けるのであれば、それは大沢と喜多嶋との間に生まれた長男に対してのみである。長男の気持ちを察することが出来る人間であれば、ここで「初」は絶対に付けないのが当然の感覚であり、まるで長男が存在してないかのように扱うのは、あまりにも可哀想ではないかと、ネット上で物議をかもした。
  • 2008年4月26日、大沢が再婚。
  • 2008年11月19日放送のバラエティ番組『復活の日』(TBS)に、大沢が長男と一緒に出演。長男に障害があることを初告白した。先天性腹壁破裂で産まれ、何度も危険な手術を繰り返したこと、感音性難聴も患っており、聴力が通常の半分程度、特に高音が聴きづらい状態にあること、また、学習障害や精神的な障害も疑われたことなどを伝えた。
  • 2009年当時、大沢は目黒区に住んでいたが、長男を受け入れてくれる区立の中学が大田区にしかなかったため、長男のために大田区に転居。
  • 2011年3月21日、長男(当時中学2年)がアメーバブログにてブログを開設。以降、彼女と交際している様子などを綴る。ブログのアカウント(URL)には、その彼女の名前も織り交ぜていた。
  • 2012年3月、長男が大田区立御園中学校を卒業。高校は4校受験したが全滅。大沢は面接だけでも受かる学校を探して来たが、面接の当日に長男は逃走。仕方なく高校への進学は断念し、長男は大沢のつてで京都の寺に預けられるも、すぐに東京へ戻ってきた。
  • 2012年5月24日、大沢の再婚相手が長女を出産するも、胎児異常により死産。
  • 2012年9月27日発売の『週刊文春』(同年10月4日号)にて、「僕はパパに殺されます」とのタイトルで、両親から虐待を受けていたと長男が語った。

    • 長男の告白によれば、産みの母親である喜多嶋舞にビンタされたり、後頭部の髪をつかんで風呂に沈められるなどの虐待を日常的に受けていたが、小学3年生の時(2005年)、ハイヒールで殴られ出血したことで、大沢と喜多嶋は殴り合いのケンカとなり、喜多嶋が家を出たとのこと。
      2005年に両親が離婚し、長男が大沢に引き取られると、今度は大沢からも殴られたり、「お前がいると家族が壊れる」と暴言を浴びせられるなどの虐待を受けるようになり、2012年9月16日に日本刀を喉に突きつけられ、「これを引いたら死ぬぞ」と脅されたことをきっかけに家出したと語った。
      長男は、「家に戻ったら、僕がパパに殺されるか、今はかないませんが、僕がパパを殺すのか。このままでは僕も自分の子供ができた時に虐待してしまいそうで、それが怖いです。パパには、理由もなく人を殴ったり脅かしたりしたらいけないんだということを分かって欲しい」と話した。この件に対して大沢は、「模造刀の日本刀を突きつけたのは事実で行き過ぎだったと反省しています。ただ、それ以外の虐待は事実ではありません」と回答。喜多嶋も、「虐待の事実はない」と否定した。そして大沢は、長男が心療内科で診察を受け、通院加療中であったことをブログで明かした。「乳児期の疾病による長期入院、手術による心的外傷後遺症」と診断されており、「客観的事実と大きく異なる本人の認知および言動」が主な症状で、「被害的状況と本人が訴える内容については、誤認および誤解に基づくことが大部分を占めるため、治療が完全に終了するまでは、その客観性を信頼出来ない」との診断結果が医者から出ていたこと、文春の記事に大きなショックを受けたこと、そして、長男のこの疾病に関して、本来は公にはしたくなかったことなどを9月28日付のブログで説明した。
      また、大沢は警察に、家出中の長男の捜索願いを提出。そして9月28日の深夜になって長男の居場所が分かり、本人とも直接電話で話ができたと、翌29日付のブログで語った。
      なお、この週刊文春が発売された直後、あまりに反響が大きかったため、長男は2011年3月21日に開設した自分のアメーバブログのアカウントを削除した。
  • 大沢は、長男に障害が出たこと、長女が胎児異常により死産したことを踏まえ、自分の遺伝子に問題があるかもしれないと考え、また、自分と長男とでは容姿や性格が全く似ていない点に疑問を抱いていたこともあり、2013年2月、長男も了承の上で、日本に窓口がある海外の鑑定機関にDNA鑑定を依頼する。長男が家出をして週刊誌に対し、「両親から日常的に虐待されている」という虚偽を吹聴したことや、大沢の再婚相手である妻に対し、お尻を触るなどのわいせつ行為が頻繁にあって手を焼いていたこともまた、DNA鑑定を行うに至った理由の一つであった。
  • 2013年2月26日、「総合父性指数 0」、「父性確率 0%」と書かれたDNAの鑑定結果が届く。大沢はこのことを長男には内緒にしたまま、同居を続けた。
  • 2013年4月、公的鑑定書のコピーを、弁護士を通して喜多嶋に送付。この鑑定結果について話し合いを求めたが、喜多嶋は応じなかった。
  • 2013年5月、喜多嶋舞にしか教えてないはずのDNA鑑定の件だったにもかかわらず、大沢のもとに週刊誌から問い合わせと取材依頼が来る。しかし大沢は否定し、取材をスルーした。
  • 2013年7月、大沢が東京家庭裁判所に「親子関係不存在確認」の調停申し立てを行う。双方が弁護士を交えての協議を開始。しかし喜多嶋は長男の引き取りを拒否。
  • 同じく7月、喜多嶋と、ロサンゼルスに住む喜多嶋の父親(喜多嶋修)、そして長男の3人が、東京都港区赤坂で落ち合う。その際、長男が喜多嶋修から「アメリカに遊びに来ないか?」と誘い出される。
  • 2013年8月、喜多嶋は大沢の了解のもと、長男を約2週間の予定で、ロサンゼルスにある喜多嶋の実家への旅行に連れ出し、二人で渡米。しかし、8月後半に喜多嶋の父から大沢のもとに電話が来て、「孫はアメリカに移住して寿司職人になりたいと言ってる。舞の弟の下で修行させる」と発言。大沢が電話で長男に確認すると、本人も「寿司職人になる」と答えた。
    大沢は「日本に帰って来い」と止めたが、本人の意志が固く、また、大沢は仕事もあり、妻も妊娠しており、長男を取り戻すためにアメリカに渡ることも出来ず、「じゃあやれるだけやってみろ」と伝え、了承した。
    しかし喜多嶋の両親はその後、長男と一緒に住むことはなく、まだ未成年の長男を、慣れないアメリカで一人暮らしをさせる。
  • 2013年9月、東京家庭裁判所での調停の過程で、長男の親権が大沢から喜多嶋舞に移る。しかし僅か2ヶ月後の同年11月、喜多嶋は大沢に内緒のまま、自分の両親(喜多嶋修、内藤洋子夫妻)へと更に親権を移し、養子縁組させた。
    その事実を後から弁護士を通じて知った大沢は、「理解しがたい」と絶句する。しかし、長男がアメリカで生活をするためにはビザを取得させた方が便利な面も確かにあり、そのビザ取得の名目で、アメリカに永住権を持っている祖父母が養子縁組をした。この時点で長男の親権が変わるのは4度目のことである。(親権が変わってもなお、長男の姓は「大沢」姓のまま)
    以降、大沢は親権者を喜多嶋修、内藤洋子夫妻に変更して、引き続き「親子関係不存在確認」の調停手続きを進めたが、修夫妻は長男の精神的不安定などを理由に調停を拒否。更には、「親子関係不存在確認の調停を長男が18歳になるまで行わない」との意向を示してきた。大沢は仕方なくこれに合意し、調停は一旦不成立となった。
  • 2013年10月末、長男が一旦帰国。大沢の家から自分の荷物を喜多嶋舞の家に移し、同年11月末に改めて渡米した。
  • 2013年12月の頭に、大沢の自宅へ週刊誌が突撃取材に来る。ここでも大沢はスルーしようと思ったが、記者があまりにも細かい点まで既に把握していたため、さすがにこれ以上隠し通すことは難しいと思い、「事実です」と認めざるを得なかった。
  • 2013年12月24日発売の『週刊女性』(2014年1月7日・14日合併号)で騒動が初めて伝えられる。
  • 同じ24日、喜多嶋はマスコミ各社にファックスを送付し、「16歳の少年を巻き込むものであり、なぜ今このようなことが突然書かれるのか、非常に憤りを感じております」と怒りを表した。
    一方、大沢は同日夜に4WDの愛車「シボレー タホ」で帰宅した所、自宅前で待ち構えていたテレビ局からの直撃取材を受け、改めて「事実です」と答えた。
    「自分の実子と思ってきた訳で、違う結果が出ても気持ちが急にぶれることはない。正直受け入れられないというのが本音と言えば本音だが…」としながらも、「今はちょっと離れているが、彼ともいい思い出がいっぱいある。(米国で生活したいという息子に)一度『帰ってこい』と止めたが、本人が『どうしてもやってみたい』、『トライしたい』ということだったので、生半可なことではないがやれるだけやってみろとOKを出した。こういうことがあったから捨てたとか追い出したなんて、そう思われると心外です」と、複雑な胸中を明かした。
  • 続いて、2013年12月26日発売の『週刊新潮』(2014年1月2日・9日新年特大号)でも報じられる。

    • 「性格や体型、死産だけが原因でDNA検査を受けたのではないという。喜多嶋との結婚時、泥酔して帰宅した彼女が、「奥田瑛二さんがね、『君が産んだ子は、俺の子じゃないのか』と言うの」と大沢に打ち明けたという。
      新潮の取材に対し、奥田のマネージャーは「全く事実無根」と完全否定したというが、現在行われている大沢、喜多嶋間での「親子関係の不存在」の確認を求める調停前に、大沢の弁護士と喜多嶋の協議が行われ、その場で弁護士から「奥田さんの子なのですか?」と聞かれた喜多嶋は、「付き合っていた時期が(妊娠した時期と)違います」と答え、奥田との交際は認めたという。さらに弁護士が「奥田さんじゃないとすれば、別の男性がいたということですか?」と尋ねると、喜多嶋は否定も肯定もしなかった」これ以降、本当の父親が誰なのかを巡り奥田以外にも、喜多嶋と過去に実際に交際したことが判明していたり、長男に顔立ちが似ているとの理由から疑惑を持たれるなど、多数の有名人の名前が浮上する。(石田純一、香川照之、西島秀俊、池田政典、豊川悦司、保阪尚希、赤坂晃、BUCK-TICKのボーカル・櫻井敦司、50代の歯科医、等々…)
  • 2014年1月6日発売の『女性自身』(同年1月21日号)で、長男が「僕とパパは99.9%親子。DNA鑑定の書類を見た」と反論。
    喜多嶋舞も同誌のインタビューで、「実は、息子に(聴覚に)障害があることは妊娠発覚のすぐ後にわかっていたんです。当時、担当医の方には『まだ若いんですから、今回は…』と言われたこともありました。それでも、大沢さんは『なんとか産んでくれ』と私に懇願していました。もしお腹の子が別の人の子供だったら、産みますか? 断言します。父親は大沢さんです」、「長男が18歳になったら再鑑定します」と完全否定し、両サイドの言い分が真っ向から対立。
    喜多嶋は、「もしお腹の子が別の人の子供だったら、(障害があると分かっている子を)産みますか?」と主張した。だからと言って、他の人の子供だと分かっていても、大沢の懇願を断りきれずに生んだ、という可能性がゼロとは言えない。また、喜多嶋のこの証言は、「大沢が懇願しなければ障害のある自分は生まれてこない可能性もあった」ということになり、長男にしてみれば、更に複雑な心境となる発言である。
  • 2014年1月7日正午すぎ、大沢が記者会見。
    長男本人まで週刊誌の取材に出てきてしまったこと、妻が臨月の状態でデリケートな時期だったこと、また、大沢にとって初監督作品でもあり、光GENJI時代の盟友・諸星和己との共演作でもある映画『鷲と鷹』の完成披露記者会見を1月9日に控えていた時期でもあり、そのせっかくの披露記者会見の場を今回の騒動で台無しにしてしまう訳にはいかないなどの思いから、「この騒動に関しては、もうこの場限りで、これ以上お話しすることはありません」とした上で記者会見を開いた。
    そして長男に対し、「今後、私のことを親父と思ってくれるのであれば、それはそれで光栄ですし、もう友達でもいいです。それで、私としては、今アメリカで頑張ろうとしてる彼を、心から応援したく、日本より見守っていたいと思います」と、涙を交えながらコメント。
    長男がDNA鑑定書類を見たと週刊誌で言ってる件については、「昨年2月に自宅に届いた鑑定結果を、封を切らずに仕事場に持ち出した。事務所の金庫に保管していたため、100%長男が目にする機会はなかった」、「彼(長男)のインタビューを読んでも、本当に彼が語った言葉なのかどうか、正直信じられないです」とコメントした。
    また、喜多嶋が昨年末にFAXで「16歳の少年を巻き込むものであり、非常に憤りを感じております」と怒りのコメントをしておきながら、自分は喜多嶋修氏が立ち合いのもと、息子を週刊誌のインタビューに答えさせている。そこが僕はビックリしました。この場で喜多嶋さんや修さんを批判する気も無いですが、私の中では理解不能でございます」と、喜多嶋側の理不尽な矛盾点を突いた。
    そして喜多嶋に対し、「しっかりと息子に向き合って、母親としての愛情をかけて接して頂きたい」と言い、涙を流した。会見の最後には、泣きながら息子に対してのエールを送った。
    長男が鑑定書を見たという証言が真実であれば、長男が見た鑑定書は原本ではなく、必然的に大沢から喜多嶋に送れらたコピーの方となる。そしてそれを長男に見せたのは喜多嶋側ということになる。
  • 2014年1月8日発売の『週刊文春』(2014年1月16日号)に長男の証言が載る。
    長男が見たというDNA鑑定書は全て英語で書かれていたとのことで、「女性自身の取材を受けたのは、おじいちゃん(喜多嶋修)に言われたからです。記者の人には鑑定結果の書類を見たことを伝えましたが、僕は英語が出来ないので、理解できたのはローマ字で書かれたパパと僕の名前、それから99.9%という数字だけです。でも、僕にはそれで親子だと信じるのに十分だったんです」と答えた。
    一方、大沢は「鑑定書類には日本語訳もあった」と証言している。つまり、英語が出来ない長男に、喜多嶋側は英語で書かれた書類のみを見せ、「99.9%」の数字を指差し、「ほら、ここにちゃんと、99.9%親子だって書いてあるでしょ」と信じ込ませた可能性が強いと見られている。また、大沢側が書類に書かれていたと主張する「父性確率 0%」という表現とも異なるため、そもそも長男が目にしたコピー書類自体が本物かどうかさえも疑われている。
  • 2014年1月13日、不妊治療の末、大沢の再婚相手が女児を無事に出産。
  • 2014年1月29日、46歳のカリスマ美容師Kが、「もしかしたら自分がその長男の父親かもしれない。DNA鑑定してもいい」と、『東京スポーツ』にて告白。
    シンガポールに拠点を移しているKは、かつて都内の人気美容室に勤務しており、喜多嶋が大沢と結婚する1996年以前、喜多嶋が客として通っていたことから知り合い、恋人関係になった。「舞さんとの関係は当時、一部雑誌(『噂の眞相』)に報じられてしまい、私は若い頃に刑事事件を起こしたことがあって、迷惑が掛かると思って身を引きました。ですから交際期間は2ヶ月にも満たなかったんです。ただ、その交際時期が時期だけに、あくまで可能性でしかありませんが、もしもお子さんが自分の子供だったら会いたい気持ちがあるんです」と語った。大沢、喜多嶋元夫妻に知人を通じコンタクトを取っている所であり、これ以上の詳しいことは明かせないとした。
  • 2014年2月28日、ニュースサイト「サイゾーウーマン」が、元俳優のFが本当の父親だと報じる。
    「まだ騒動が連日報じられていた頃から、芸能マスコミの間で、『本当の父親はこの人物で間違いないだろう』と目されている人物が存在していました。その人物とは、元芸能人で、過去には売春防止法違反容疑で逮捕歴もある“F”。しかしこのFはまったくの無名であり、現在の所在もまったくわからない。さらに彼が本当の父親と立証することも難しく、現在この情報はお蔵入り状態になっているようです。
    Fはもう何年も前から、親しい関係者や身内に『自分が喜多嶋を妊娠させてしまった』などと吹聴していたそうで、それが今になってメディアにも伝わってきたようです。さらに現在浮上しているFの顔は、長男と驚くほどそっくり。思わず絶句してしまいましたよ。一時は“父親候補”として名前が浮上した奥田瑛二も、一部メディアが『長男と顔が似ているから』という安易な理由で報道に至ったのですが、Fの方がはるかに似ている。この事実がもっと早く公になっていれば、一連の騒動はまったく違った展開を見せていたかもしれません」(週刊誌記者)
    このFについて、手がかりのキーワードからすぐにネット上で元俳優の伏石泰宏だと特定される。そして、長男と伏石の顔があまりにも酷似していることが判明する。
  • 2014年6月24日発売の『週刊女性』(同年7月8日号)にて、伏石泰宏の知人男性の証言が掲載される。
    「当時、2人は中目黒の喜多嶋のマンションで半同棲生活を送り、その付き合いは周囲も公認であった。そして喜多嶋が妊娠した際、伏石は『舞が妊娠した。父親として責任をとって結婚するつもり』と友人に話したが、その直後に喜多嶋は大沢とのデキ婚を発表。伏石は『俺の子なのに』と周囲に訴えたが、喜多嶋は頑なにこれを否定。知人男性も周囲の人間も、『舞さんが違うと言っているのだから』と伏石をなだめるしかなかった」
    喜多嶋と伏石は、1996年2月26日に放送されたテレビドラマ『東京SEX』の第19話「欲しがる女」(フジテレビ)に共演したことで出会った。この数ヶ月後の6月28日に、喜多嶋は妊娠3ヶ月で大沢と“授かり婚”をしている。長男と伏石の顔が酷似しているだけでなく、こうした時期的な面で見ても完全に一致する。
    一時は膨大な数の有名人が父親候補として浮上したが、複数の点から、やはり伏石が本当の父親で間違いないと見られている。
  • 2014年12月31日深夜(2015年1月1日)放送のバラエティ番組『2014→2015 ツキたい人グランプリ ~ゆく年つく年~』(フジテレビ)に、大沢が泥酔した状態で出演。その酒癖があまりにも悪く、共演者の新垣隆やゆうたろうへ働いた数々の横暴に対し、ネット上で批判が殺到する。
  • 2013年7月に「親子関係不存在確認」の調停申し立てを行い、途中で親権が大沢から移動はしたものの、肝心の「親子関係不存在確認」の点については不調のまま途中で終わっていた。そして、長男が18歳になるまでは調停に応じないとの要請にも大沢は合意したが、長男が2015年1月で18歳を迎えたにもかかわらず、その後も喜多嶋修夫妻は調停に応じなかったため、やむなく調停から訴訟へと移行。
    訴訟を起こしてまでも親子関係の有無をはっきりさせたかった背景には、大沢の遺産問題もあった。これは、大沢がいつか逝去した際、その遺産を、妻と、新しく生まれて来た大沢の長女がきちんと相続できるようにするためである。
    訴訟となると、「原告と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する裁判」であるため、大沢が原告、長男が被告となり、その第1回弁論が、2015年10月8日に東京家庭裁判所で行われた。
    大沢は代理人の弁護士と出廷し、証拠書類の原本、戸籍類などを提出。スーツ姿で現れ、終始厳しい表情を崩すことはなかった。被告の長男側は誰も出廷しなかった。しかも、裁判の直前に長男はアメリカの一人暮らしの家を飛び出し、行方不明となった。本来は寿司職人を目指していたはずの長男だったが、聴覚や情緒に障害のある状態では務まるはずもなく、地元のギャングとつるみ、左ひじから手首にかけて鱗のようなタトゥー、そして両手の指にもタトゥーを入れるようになっていた。
  • 2015年11月19日、東京家庭裁判所にて、「親子関係が存在しない」との判決が言い渡され、第一審では原告側の大沢が勝訴。科学的なDNA鑑定に続き、法においても大沢の言い分がはっきりと認められる形となった。しかし喜多嶋側はこれを不服として控訴。
  • 2015年11月22日放送のフジテレビ『ワイドナショー』にてダウンタウンの松本人志も本件について、「人の死以外は、たいていのことは笑いにできると思っている人なんですけど、これはちょっと笑いにできない。なかなか太い女ですね。正直、共演NGですね。ちょっと無理ですよね。ちょっとひどいな」とコメントした。
  • 2015年11月29日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ・中京テレビ)でも大沢の勝訴について取り上げ、司会の上沼恵美子が喜多嶋舞に対して怒りをあらわにした。
  • 喜多嶋が2015年12月8日発売の女性誌『婦人公論』(同年12月22日・2016年1月4日合併号)の独占取材に応じ、「DNA鑑定の結果は真実ではない」と改めて否定した。喜多嶋はかつて、長男が18歳になったら再鑑定させると言っていたにもかかわらず、今度は、「18歳の長男が成人したら再鑑定したい」と意見を変え、控訴審を先延ばしにした。また、喜多嶋は11月一杯で芸能界を引退したことも表明した。
  • 『婦人公論』の記事を受け、2015年12月9日午後8時半頃、大沢が再び自宅でテレビ局から直撃取材される。
    大沢はテレビクルーを自宅から離れた場所に誘導し、
    「マスコミさんもお仕事だとすごく理解しております。でも、家族や近隣の迷惑になると言っても、一昨日から再三に渡りいらっしゃるので、これで本当に自宅に来るのは今後無しという条件のもとで対応させて頂きます」
    と前置きした上で取材に応じた。喜多嶋の引退については、「本人が決めたことなので私がとやかく言うことではありません」とした。長男に対しては、「縁を切るための裁判ではない。彼(長男)が将来私に頼ってきてくれたら、もちろん私は受けます。彼の“育ての父”としては、彼のことは色々と日々考えております」と答えた。
    2013年4月の時点でDNAの公的な鑑定書のコピーも弁護士を通して喜多嶋側に送っているため、それ以降の喜多嶋側の一連の対応について大沢は、「摩訶不思議です」と答えた。
  • 2015年12月13日放送のTBS『サンデージャポン』では、デーブ・スペクターが「DNAにグレーゾーンは無い。さっさと決着をつけるべき」とコメント。そこまで潔白を主張するのであれば、長男が成人するまで保留するなどと言わず、今すぐにでも再鑑定をするべきだとした。
  • 『婦人公論』での喜多嶋の記事に対し、2015年12月24日発売の『週刊文春』(2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号)にて、「勝手すぎる独占告白に関係者が大反論!喜多嶋舞 悪女伝説」が掲載される。

    • 「帰国子女であることも関係するのか、『若いうちから特定の男に絞る日本人の恋愛の仕方は理解できないわ』と、渋谷や六本木で共演者らと遊ぶ毎日を過ごしていた」

      「『大沢さんは私がはじめて付き合った人』と言っているが、大沢さんがドラマで共演した喜多嶋さんを気に入りアプローチしたものの、当時は池田政典さんとの交際を理由に断られている。実際、1989年末に池田政典さんとの熱愛が報じられ、喜多嶋さん自身がマスコミの前で、「彼の明るくて優しい所が気に入っています」と交際宣言をしている。だから『大沢さんが初めてつきあった人』というのは真っ赤な嘘」

      X氏は、「彼女は結婚直前まで別の男性F(以下、伏石泰宏)と半同棲生活を送っていた。ジュノンボーイコンテストの最終選考に残った元イケメン俳優。飲んだ後はいつも一緒に帰っていましたし、目の前でキスをしているところも見ました」
      伏石との関係は喜多嶋の事務所スタッフも公認だった。そのため妊娠発覚後、周囲は伏石との子の可能性を喜多嶋に問うたが、本人は「大沢さんの子だ」と頑なに否定したという。しかし、X氏に喜多嶋はこんな本音をこぼしていた。
      「舞は当然、伏石さんの子かもしれないと思っていましたよ。酔っ払って『伏石さんの可能性もある』と漏らしたのを私は聞きました。一時は『一人で生んで一人で育てる』とも言っていた。しかし、一人で抱えきれなくなり、大沢さんに妊娠を告げた所、大沢さんは、『大沢ジュニアか!俺も父親か』と喜び、すぐさま『結婚しよう』と男気を見せた。それが舞は嬉しくて、大沢さんの子だと信じようとしてしまった」

      もう一人の重要証言者はY氏。世間が二人の結婚を知る前、Y氏は大沢からこんな報告を受けたという。
      「『子供が出来たよ!』って嬉しそうに報告してくれたんです。そして、『妊娠する時は一回でもするもんなんだな』と言うのでよく聞いてみると、付き合ったり別れたりしていた二人は一年ほど別れて、1996年に復縁した。そして久しぶりに身体を重ねた直後に舞さんから『妊娠した』と告げられたというのです。舞さんが奔放なタイプなのは有名でしたが、週刊誌などを全く読まない大沢君は、舞さんのスキャンダルを知らなかったようです」
      いざ結婚した二人と対面したY氏は、喜多嶋の振る舞いに驚いたという。
      「二人と一緒に食事をしたんですが、舞さんは妊娠中にもかかわらず、タバコはパカパカ吸うし、お酒はガブガブ飲むわでやりたい放題だった。大沢君が注意すると『アメリカでは普通だ』と言い放ち、まったく聞き入れなかったです。結婚後、2001年に彼女が出版したヌード写真集についても大沢君は悩んでいました。当時、長男は四歳。大沢君は、『もう母親なんだからやめとけよって言っても聞かないんだよ』って。『婦人公論』で舞さんは新婚時代を『彼の突然の怒りにおびえる生活』と語っていますが、とんでもない。夫にビクビクしている妻の言動ではありませんでした」当然ながら、妊婦の飲酒喫煙が胎児に悪影響があることは世界共通の認識であり、「アメリカでは妊娠中の飲酒喫煙は普通」などという常識は有り得ない。そして『週刊文春』の取材に対し喜多嶋は、「もう私、引退をしまして事務所もないので、何もお答えすることはないです」と述べた。
  • 2016年1月29日放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』に大沢が出演。浜田雅功から「そもそも何でDNA鑑定をしたの?」と問われ、「結婚から2年後に、(泥酔して帰宅した)元妻・喜多嶋舞が、『ある人(奥田瑛二)から「お前の子供は俺の子だろ」と言われた』と告白してきたのがきっかけ」と答えた。「ある人とは?」の問いには明言を避け、奥田の名前は出さなかった。
    また、長男について大沢は、「今度いつ再開できるか分からないですけど、会いたいって気持ちもあるし、心配だし、どう生活してるのかなって、日々思います」とコメントした。
  • 2016年2月5日放送の『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)に大沢がゲスト出演。一連の騒動に言及した。第一審では大沢が勝訴したものの、まだ係争中で控訴審の結審にまでは至っていないことから、「99%言えないんです。でも、逃げも隠れもしたくない。マスコミや世間で誤解が生じている部分があるので、それは正したくて」と、出演を決めた理由を話した。上沼恵美子は喜多嶋に対し、「往生際が悪いわ!」とコメント。大沢は、「情と親心は彼に対して変わっていない」と、長男への思いも訴えた。
  • 2016年5月30日にLINE LIVEで生配信された野村宏伸との共演番組『さしめし ~芸能人のお忍びランチトーク~』にて大沢が、飲酒をして酔い、気持ちが大きくなった状態の中で、「一連の騒動について、先方(喜多嶋側)が認めようとしないのでまだ決着は着いていないが、元奥さんに対しては(喜多嶋舞の不貞行為については)、もう許すことにしました。そこにこだわって気持ちが止まっちゃってると、仕事も出来なければ何も前に進まない。だからもういいよ。俺は許す。許します」と発言した。
  • 大沢が2017年1月14日付のブログで長男に向けて、「本日は息子の二十歳の誕生日 おめでとう 一緒に飲めること切に希望 直接伝えられそうにないので この場にて」と、お祝いのメッセージを綴る。
  • 「長男が成人したら再鑑定する」として控訴審を先送りにしていた喜多嶋だったが、長男が成人しても結局DNAの再鑑定を行わず、控訴も取り下げたため、2017年3月、大沢と長男との間に親子関係が存在しないという判決が確定した。
  • 長男が2017年に日本に帰国。知り合いの家を転々としながら、芸能事務所「TOMOlution entertainment system」、六本木5丁目のバーラウンジ「KING BAR」、六本木3丁目の焼肉店「焼肉朋ちゃん」(いずれも知人の実業家・タレントのTOMOROが経営)など、勤務先も転々としていた。長男はこの間に無免許運転で捕まり、25万円の罰金をTOMOROに出して貰ったりもした。
  • 大沢が2019年1月14日付のブログで長男に向けて、「22歳の誕生日 おめでとう」と、お祝いのメッセージを綴る。
  • 2019年1月29日、長男(当時22歳)が、酒に酔った上で同棲していた同い年の女性に殴る蹴るの暴行をした上、首を絞め、全治一週間の怪我を負わせたとして、傷害容疑で警視庁北沢署に逮捕された。
    同年1月31日に検察に身柄送検。同日放送のフジテレビ『バイキング』では薬丸裕英が、長男の複雑な生い立ちと今回の暴力事件は全く別問題だとした上で、「この女性(喜多嶋舞)は母親としても人としても俺はどうかと思う」とコメント。中条きよしも、暴力事件の責任は当然長男にあるとした上で、「一番悪いのは嫁(喜多嶋舞)だよね。どうやって(長男を)作ったんだよ」とコメントした。
  • 同年2月2日、大沢はブログにて、「この度は大変ご心配をお掛け致しまして申し訳ありませんでした。ですが、今止まってる訳にはいかないのです。改めて今後ともよろしくお願い申し上げますm(__)m」と綴った。血も繋がらず、親権も無く、そして既に成人している長男の犯した行為に、大沢は謝罪したものの、喜多嶋側からのコメントは一切無かった。
  • 同年2月8日、長男が処分保留で警視庁北沢署から釈放される。同日放送のフジテレビ『直撃LIVE グッディ!』では安藤優子が、「お母さん、どうなってるんですか」、「親権をあっちこっちやられて」、「お母さんがどういう事情か分かってる訳ですから、(長男に)きちんと説明すべきじゃないですか」と、喜多嶋の責任に言及した。
  • 2021年5月20日、大沢がTwitterとInstagramにて前日に撮影した長男とのツーショット写真を公開。これ以降、頻繁に長男とのツーショット写真をSNSで公開するようになる。
  • 長男が「ビジネスの構想がある。アメリカで起業したい」と言って、同年6月24日に6年ぶりに渡米。しかし長男は「やりたいことが見つかった」と言って、2~3ヶ月で早くも日本に帰国。
  • 長男が「JESSE RAYジェシー・レイ」名義で写真家となり、同年11月4日にInstagramアカウントを開設。
  • 長男が写真家としてのスタートからわずか2ヶ月で写真展「HOMIE TOWN」を開催(2022年1月13日~15日、新宿歌舞伎町・麦ノ音。入場料:3,000円)。クリップで留めた裸の状態の複数のモノクロ写真を天井からぶら下げる形式で展示した。14日には母親の喜多嶋舞、15日には大沢も来訪。最終日の夜はアフターパーティーと称して同会場で翌朝4時までDJイベントも開催した。




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