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シブがき隊

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分類歴代グループ

デビュー:1981.04.17
デビュー曲:NAI・NAI 16ないないシックスティーン(1982.05.05)

3人組の男性アイドルグループ。1981年4月結成。1988年11月2日解隊。愛称:シブ、シブちゃん。
グループ名変遷:仙八悪ガキ4人組(俗称)→ 仙八トリオ(俗称)→ シブがきトリオ → Aチーム(俗称)→ シブがき隊

[メンバー]

  • 薬丸裕英やくまるひろひで
    1966年2月19日生まれ(56歳)、東京都武蔵野市出身。愛称:ヤックン、リーダー(あだ名であり、正式なリーダーは存在しない)。妻は石川秀美。イメージカラー:青。
  • 本木雅弘もときまさひろ
    1965年12月21日生まれ(56歳)、埼玉県桶川市出身。愛称:モックン。妻は内田也哉子。イメージカラー:赤。
  • 布川敏和ふかわとしかず
    1965年8月4日生まれ(57歳)、神奈川県川崎市出身。愛称:フックン。妹は元「おニャン子クラブ」の布川智子。元妻はつちやかおり。イメージカラー:黄。

[候補メンバー]

[関連ソロ・ユニット]

1981年4月、TBSドラマ『2年B組仙八先生』に出演した4名により結成。当時は「仙八悪ガキ4人組」などと呼ばれながら、4人一緒に雑誌やアイドル番組に登場していた。
しかし、同年初夏までに1名(叶屋博基)がメンバーから外されてしまい、3人組となる。

当初は正式なグループ名が確定しておらず、『2年B組仙八先生』に出演していたことから「仙八トリオ」と呼ばれていた。
雑誌『週刊セブンティーン』(1981年7月28日号)で正式なグループ名と3人の愛称を募集した結果、同年9月1日号にて、「シブがきトリオ(由来は「渋い悪ガキ」)」、「ヤックン、モックン、フックン」に決定。

グループと愛称のそれぞれの名付け親である2人の女性は、シブがき隊が解隊を控えていた1988年9月21日に、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』にゲスト出演。その際、命名の由来について、「『ぼくたちにシブ~い名前をつけてね!』と募集ページに書いてあったから」と語った。

1981年10月6日より、テレビ東京の音楽バラエティ番組『ザ・ヤングベストテン』にレギュラー出演。この時点で既に「シブがきトリオ」というグループ名は付いていたが、番組で共演していた「少年隊」の方にまだグループ名が付いていなかったため、つり合いが取れるように番組内では当初、シブがきトリオは「Aチーム」、少年隊は「Bチーム」と呼ばれていた。

1982年2月、ジャニー喜多川の意向で「シブがきトリオ」から「シブがき隊」へ改名。あえて「トリオ」から「隊」に変えたことについて、メンバーたちは当時のテレビ番組で、「『たのきんトリオ』は『トリオ』だったけれど、僕たちは『隊』という形で(メンバーやスタッフ、ファンの)みんなと連帯したい」などと答えていた。
この「隊」へのこだわりは、グループ解散時に、“解散”という表現ではなく「“隊”が分かれるから“解隊”」とした点にも表れている。

1982年5月5日に「NAI・NAI 16」で歌手デビュー。キャッチフレーズは「YMF 正面突破」(YMFとはヤックン、モックン、フックンの略)。同期のアイドルたちは「花の82年組」と呼ばれ、中森明菜、小泉今日子、三田寛子、堀ちえみ、松本伊代、早見優、つちやかおり、石川秀美らがいた。

デビューシングル『NAI・NAI 16』のB面曲(作詞:糸井重里)のタイトルを決める際、ジャニー喜多川が錦織一清に相談した結果、錦織が『好きらしいです、オレ!』と命名した。(錦織が2012年7月5日放送のTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』談話)

ファンによる多くの親衛隊(応援グループ)も作られた。「シスターボーイ」、「ミルク」、「飛鳥」など。各メンバーごとの親衛隊(オンリー隊)も存在した。代表的なのもは、薬丸の「度胸隊」、「ブラックエンジェル」、布川の「ジェミーガール」、「レッドローズ」、本木の「雅姫まさひめ」、「アリス」など。
そして親衛隊による独特の応援コールも作られた。 以下がその一例。

  • 「S・H・I・B・U・G・A・K・I シブいぜシブがきガ~ンバ ハッピーボーイズシ・ブ・が・き~」(通称「S・Hコール」)
  • 「S・H・I・B・U・G・A・K・I シブいぜシブがきガ~ンバ ハッピーボーイズシブがき隊」(「月光淑女!」のイントロコール)
  • 「G・U・T・S ガッツヤックン S・E・X・Y セクシーモックン S・M・I・L・E スマイルフックン ハッピーボーイズシブがき隊」
  • 「裕英・雅弘・敏和! 我らのシブがき只今参上!」

1982年10月16日 午後4時25分、愛知県・豊橋市体育館前で行われた「第28回 豊橋まつり」内の「青春歌謡スターパレード」にシブがき隊が出演した際、開場待ちの2,000人の内、約300人の中高生が将棋倒しとなり、豊橋市立中部中学校3年生の女子生徒(当時15歳)がショック死(圧死ではなく、パニックによる心不全)するという事故が発生した。
この歌謡ショーは中部日本放送の公開録画で、シブがき隊の他には、小泉今日子、石川秀美、新井薫子、早見優も出演。ショーは予定通り開催された。

1986年のNHK紅白歌合戦の出場者が発表された当初、シブがき隊は次点の次点で落選していた。そこで事務所の人が気を遣い、3人にハワイ旅行をプレゼントした。
しかし、ハワイに到着して旅行を満喫しようとしていた矢先に、繰り上げでの紅白出場が決定し、急遽ハワイから帰国することとなった。本来であれば翌日はスキューバダイビングをする予定になっており、それを楽しみにしてた本木と布川は、帰国することに対して非常にガッカリしていたが、薬丸だけは、むしろ紅白に出られるようになって良かったと喜んでいた。

1988年8月7日、東京厚生年金会館でのコンサートにて、グループの“解隊”を宣言。
結成から約7年半後の1988年11月2日、代々木第一体育館でのコンサートにて解隊。これと同時に本木と布川はジャニーズ事務所を退所した。薬丸だけは事務所に残ってソロ活動を続けたものの、やはり1年後には同じく退所した。

1988年11月5日、日本テレビにて解散特別番組『今夜見納め!これが最後のシブがき隊』が放送。近藤真彦も出演。
この番組の中で解隊を記念し、沖縄の無人島「離島ハナリジマ」に対して新たに「シブがきとう」と命名する企画が組まれ、日本地図に「シブがき」の名前が載ることとなった。
島の岩壁の下には、シブがき隊の3人を模した胸像が設置されたが、後に酷く破損して原型は留めていない。破損の理由は台風により石が当たったせいとも、ファンの誰かが持って行ってしまったとも言われている。
2000年代に布川が桑野信義と共に関西テレビ『痛快!エブリディ』の企画でシブがき島に向かい、以前とは違う姿で石膏で改修したが、その後再び酷く劣化。
2012年1月、布川一家5人が沖縄旅行をした際、TBS『はなまるマーケット』の企画でシブがき島を訪れ、マジックで顔を描くという即席の改修を試みたが、その後やはり酷く劣化している。

解隊について

シブがき隊は、メンバー同士の仲が良くないグループだったことで知られている。
日本テレビ『スーパージョッキー』でビートたけしが、「シブがき隊の3人は仕事前にどんな会話を交わしているんですか?」という視聴者からの質問を代読した際、薬丸が「無言です」とコメントしたことも話題となった。

また、薬丸は自叙伝にて「ケンカも無ければ、グループで何かを話し合うこともほとんど無かった。もし少年隊のようにケンカしながらも自分の本音をぶつけたり話し合いをしていれば、シブがき隊もグループとして存続できたのかもしれない」と語っている。

布川は比較的にどちらのメンバーとも仲は悪くなかったが、薬丸自身は「グループ内で浮いていた」という意識が強いらしく、日本テレビ『速報!歌の大辞テン ! !』に出演した際に、しばしば「シブがき隊は僕と他の二人に分裂していた」という旨の発言をしている。

解隊への流れとしては、まず本木が解隊の数ヶ月前に2人を集め、「グループを辞める」という意思を伝えた。そこで、解散についてしっかりと話し合うために、レコード会社のプロデューサーやディレクターの人を一人ずつ車に乗せ、3人それぞれの車で軽井沢まで行った。
そして薬丸は、「ドリフターズのように、グループ活動とソロ活動を両立させるような活動をしていこう」との意見を出したが、本木の意志は変わらなかった。

また、最初は薬丸の考えに賛同していた布川も、話し合いの中で徐々に解散の方に傾き、同じくグループ離脱を決意。薬丸は何とか解散だけは回避しようと二人を説得したが、翻意させるには至らず、正式に解隊が決まった。

解隊の前日、もう最後だからということで、3人だけで「叙々苑」に焼肉を食べに行っている(薬丸のおごりで)。 3人だけで揃って一緒に外食に出かけたのは、これが初めてのことだった。

解散コンサート当日は、3人とも感極まり、薬丸 → 本木 → 布川の順で号泣したが、最後にステージから3人バラバラの階段を上っていくという構成で、それぞれの楽屋に戻った後は、顔を合わせることも無く一旦解散。
そしてその夜、新宿のホテルでパーティーが行われたが、終了後は3人とも別々の部屋に泊まり、翌朝はやはり顔を合わせないまま、それっきりとなった。「5年後に3人だけで酒でも飲もうよ」という約束を残して。

解隊後

  • 解隊翌月の1988年12月、「幸せを呼ぶ鳥」として知られるニューカレドニアの絶滅危惧種・カグーを、横浜市の野毛山動物園へ納めるイベントで、3人が親善大使として早くも再集結。
  • 1989年2月14日放送(収録日は2月3日)のフジテレビ『ドキッ!丸ごと水着 女だらけの水泳大会 III』と、同年8月の『ドキッ!丸ごと水着 女だらけの水泳大会 4』にて薬丸が紅組のキャプテン、布川が白組のキャプテンを務める。
  • 1991年10月5日放送のTBS『オールスター感謝祭 ’91 超豪華!クイズ決定版 この秋お待たせ特大号』に薬丸と布川が出演。
  • 1991年11月、布川の結婚式で3年ぶりに3人が揃う。
  • 1994年1月4日放送のフジテレビ『新春オールスター 欽ドン!同窓会スペシャル 良い正月悪い正月普通の正月』に薬丸と布川が出演。
  • 2002年に本木が布川の電話番号を調べて電話をかける。これを機に、二人はたまに連絡を取るようになる。
  • 2002年に薬丸と本木がスポーツジムのトイレでバッタリ再会し、20分ほど立ち話。
  • 2002年5月3日、薬丸が司会の『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」に布川がゲスト出演。
  • 2003年に行われた『2年B組仙八先生』の同窓会に、薬丸と本木が出席。
  • 2003年10月10日、「はなまるカフェ」に本木がゲスト出演。
  • 2004年春、薬丸と布川がTBS『オールスター感謝祭』で一緒に踊りながら歌を披露。
  • 2004年5月4日、「はなまるカフェ」に布川が2度目のゲスト出演。
  • 2009年1月5日、「はなまるカフェ」に布川が3度目のゲスト出演。
  • 本木主演の映画『おくりびと』が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した際、授賞式の翌朝(2009年2月23日)に『はなまるマーケット』内でロサンゼルスと生中継を繋ぎ、薬丸が本木にインタビューをする事で久しぶりの二人の出演が実現。
  • 更にその直後の同年3月1日には、仙八先生役を演じたさとう宗幸の還暦パーティーが行われ、薬丸と本木が出席。その模様がワイドショーでも紹介された。宮崎美子や当時のプロデューサーも出席し、本木はパーティーの司会進行役を務めた(布川は名古屋で舞台の公演中の為、欠席)。
  • 2008年8月11日、薬丸のレギュラー番組『オジサンズ11』(日本テレビ)に布川がゲスト出演して共演。
  • 2011年5月4日のTBS『ファミ☆ピョン』にて、薬丸がいとうあさこと共に布川宅を訪問。
  • 2011年3月、東日本大震災支援プロジェクトとして発足された「POWER NIPPON PROJECT」に、シブがき隊の3人と、かつての仙八仲間である三田寛子が一緒に連名し、義援金を募る活動を行った。
    これには他の仙八仲間も賛同し、叶屋博基、本田恭章、 戸張雅仁、川島麻子(旧姓:工藤)、永井由里子、安岡和代(旧姓:石川)、近藤結花子(旧姓:井上)、永山三枝(旧姓:中井)、粕谷まゆみ、中川美加、田中弥生(旧姓:最上)、中山佳子(旧姓:杉山)、山中圭子、岩本宗規、岩崎法丈、斎藤利和、長谷川誉、梅山明彦、井上弘之の計19名で寄付協力をした。



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