70-80年代アイドル・芸能・サブカル考察サイト

ジャニーズJr.

コメント

分類ジャニーズJr.

ジャニーズ事務所に所属するタレント集団。同事務所の公式ホームページにて、プロフィールページが設けられていないタレントの総称。「ジャニーズ・ジュニアー」、「ジャニーズ・ジュニアーズ」、「ジャニーズJR.」などの表記が使われていた時期も存在する。

主としてジャニーズ事務所に所属するタレントのバックダンサーを務める。

Jr.のメンバーたちは、メジャーデビューを目指して個人同士、あるいはユニットごとに切磋琢磨し、学業や多忙な活動の合間を縫ってダンスなどのレッスンに励む。
入所年齢はどんどん低年齢化し、小学生での入所が珍しくなく、高校生になると退所する者が顕著である。

東京でレッスンを受けるJr.はそのまま「ジャニーズJr.」と呼ばれ、大阪でレッスンを受けるJr.は「関西ジャニーズJr.」と呼ばれる。東海地区在住者のJr.を「名古屋ジャニーズJr.」として区別していた時期もあった。
また、1995年に日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ !!』内の公開オーディションコーナー「元気ジャニーズ予備校」で選ばれたジャニーズJr.に対し、ファンたちが「元気Jr.」という俗称で呼んでいた。

ジャニーズJr.は、

  • 「フレッシュJr.」(通称:フレジュ)
  • 「リトルJr.」、「Littleチーム」、「ちびっこJr.」(通称:チビジュ)
  • 「ミドルJr.」、「弟組」(ファンからの俗称)
  • ジャニーズSr.」、「兄組」(ファンからの俗称)

などの枠組、階層で分けられることがある。

ジャニーズJr.の枠にまだ正式に入らない段階の者は、「研修生」(別名:レッスン生。通称:レッ生レッせい)と呼ばれる。古くは、「芸研ジャニーズ」や「ジャニーズ・芸研グループ」などの名で存在していた。
研修生をダンスのレベルによってアルファベットで区別し、一定試験をクリアした者がJr.に昇格出来る体系も存在する。

その他、ジャニーズ事務所に所属するグループのコンサートでバックダンサーの手伝いをするだけの「コンサートJr.」も存在する(主に名古屋や関西の現場に多い)。
彼らは事務所に所属している訳ではなく、元ジャニーズJr.や他者からの繋がりで集まった者たちであるが、ここから正式にジャニーズJr.へ復帰、昇格する場合もある。また、違う事務所の子役からジャニーズJr.になるというケースも少なくない。
海外でも、2000年2月のKinKi Kidsのアジアツアーを皮切りに、台湾と香港でコンサートJr.のオーディションが行わることがあり、そこで選ばれた現地人によるコンサートJr.は、「台湾Jr.」、「香港Jr.」と呼ばれた。2001年5月に選ばれた台湾Jr.の中には、後に関西Jr.を経て「ジャニーズWEST」のメンバーとなる中間淳太も在籍した。
なお、ジャニーズ事務所と業務提携していたタイの兄弟アイドルデュオ「GOLF&MIKE」の2名に対し、雑誌などで「タイJr.」と呼ばれたが、これはあくまでも通称であり、正確にはジャニーズ事務所所属でもジャニーズJr.でもない。

ジャニーズJr.には正式なファンクラブは無いが、それに準ずるものとして「ジャニーズジュニア情報局」がある。CDデビューを果たすなどして、公式ファンクラブが発足された者はジャニーズJr.とは呼ばれなくなり、Jr.から卒業と見なされる。

1969年初頭頃から「ジャニーズJr.」の呼称が一時消滅していた時期があり、その間のJr.は「ジューク・ボックス」と呼ばれていたが、ファンに対して行われたJr.の人気投票で上位6名を選抜し、1969年末に単独で「ジューク・ボックス」が正式にグループ化されたため、それ以降、残りのJr.は「ジューク・ボックス・ジュニア」と呼ばれた。

また、過去に存在した「ジャニーズJr.」名義でのグループとして、1963年結成のバンド「ジャニーズ・ジュニア(便宜上での初代Jr.)」と、1973年5月5日結成の「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」がある。メンバーが続々と増えていく中、1974年春に、小坂まさる板野俊雄林正明畠山昌久、山縣孝良、鈴木寛、柏木孝夫、近藤純市、吉田義久の9名に定着したため、ジャニーズ・ジュニアの第1期生はファンから「9人ジュニア」という俗称でも呼ばれた。

「ジャニーズ・ジュニア 第〇期生」という呼称は、1976年に入所した第7期生で最後となる。そして1978年の「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」解散以降、ジャニー喜多川は、“ジャニーズ・ジュニア”という呼称はもう使いたくないとして、意図的に封印する(錦織一清がラジオ、植草克秀がテレビ番組で言及)。その間ジャニーズJr.は、ファンたちからは「ジャニっ子」、事務所内では「ジャニーズ少年隊」と呼ばれていた。
1981年になり、「ジャニーズ少年隊」の名前を使った単独のグループが結成される (少年隊の前身グループ)。これにより、ジャニーズJr.は「ジャニーズ・ジュニアーズ」という名称で復活する。
テレビ東京の『ザ・ヤングベストテン』(1981年10月6日 – 1982年9月21日)や『レッツGOアイドル』(1982年10月16日 – )にて、この名称で登場。その後、「ジャニーズ・ジュニア (ジャニーズJr.)」の名称へと戻っていった。

1990年代半ばには、番組名に「ジュニア」の名を冠したテレビ番組を持ち、その後も東京ドームなどの3大ドームや日本武道館でコンサートを行うほどの人気を獲得している。
この他、少年隊のバックを務めるJr.に対する総称として「少年隊ジュニア」、 ユニットに所属していないJr.に対する総称として「Jr.BOYS」という名称も存在した。(ただしいずれも、単独グループの名称としても使われている。詳細は各リンク先を参照)
嵐のバックを務めるJr.に対する総称としては、「嵐組」も存在した。

ジャニーズJr.は長らく、ジャニーズ事務所とは契約書を交わさないまま芸能活動をする存在であったが、2018年より、第一線で活動するJr.たちは事務所と正式に「年間専属契約」を結ぶように改定された。

2021年1月16日、ジャニーズ事務所は公式サイトにて、ジャニーズJr.に対して22歳での「活動終了制度」を設けることを発表。これは、満22歳に到達したJr.は、“ジャニーズJr.としての活動継続”について事務所と話し合いの場が持たれ、最初の3月31日(締め日)が到達するまでの間に“双方”が合意すればJr.としての活動が続くが、合意に至らない場合は退所(リストラ、自主退所の2種)となるもので、最初の締め日は、制度の発表から2年後の「2023年3月31日」とした。
「22歳までにメジャーデビューできなければ退所」という“定年制度”だと誤解されてしまうが、双方が合意さえすれば22歳以降でもJr.としての活動が継続できるので、一つのボーダーラインではあるが、定年制度ではない。ジャニーズ事務所の公式発表でも、「年齢制限に関わる制度」との表記であり、「Jr.の年齢を22歳までに制限する」と断定している訳ではない。




ジャニーズJr.

 

情報提供・コメント

タイトルとURLをコピーしました