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内海光司

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分類歴代ソロ

1968年1月11日生まれ(54歳)、東京都台東区根岸出身、荒川区東日暮里育ち。

うちうみこうじ。光GENJIの元メンバー。ジャニーズ事務所所属。
愛称:キノッピー、コッコ、にいさん、ウッチー。(ウッチーは佐藤アツヒロが命名)
「キノッピー」の由来は、アニメ『ポールのミラクル大作戦』でキノコを頭に被っているキャラクター「キノッピー」に髪型が似ていたため。
兄は元ジャニーズJr.の内海裕一ゆういち

[関連ソロ・ユニット]

田原俊彦に憧れ、1981年春(中学2年の1学期)、兄と一緒に品川プリンスホテルのゴールドホールへ、たのきんトリオを目当てに『第11回 オールスター紅白バレーボール大会』(1981年5月19日放送、フジテレビ)の収録を観覧しに行く。

続いて同年12月20日(日曜日)、日比谷の映画館で行われた映画『グッドラックLOVE』のたのきんトリオの舞台挨拶に、友人を誘って前日の昼過ぎから徹夜で並んで観に行った。
そして冬休みに入り、田原俊彦に会えるかもしれないという好奇心から、友人と一緒に「ジャニーズファミリークラブ」に何度か行くうち、ファミリークラブのスタッフに頼んで社長のジャニー喜多川に会わせてもらう。その結果、内海だけがスカウトされ、正式なオーディションを受けることなく、1981年12月に事務所入りした。その後、兄の内海裕一も誘い、兄弟揃ってレッスンに通うようになった。

1983年3月25日、「イーグルス」の一員としてレコードデビュー。
1987年8月19日、イーグルスのメンバーだった大沢樹生と共に、「光GENJI」として再レコードデビュー。

光GENJIとしてデビューした当時、内海は某女性アイドルと付き合っていながら、おニャン子クラブの元メンバーであり明大中野高校の1学年下だった布川智子も口説こうとして頻繁に電話をかけていたため、兄の布川敏和からこっぴどく怒られて、電話をかけるのをやめている。

1995年9月3日、「光GENJI SUPER 5」が解散。同年8月6日より、NHK-BS2の音楽番組『アイドルオンステージ』の司会なども行っていたが、やがて舞台での俳優活動が中心となっていった。

光GENJIの元メンバーの中では、佐藤アツヒロと同様に現在でもジャニーズ事務所所属である。しかし年末恒例の「ジャニーズカウントダウンコンサート」には、内海だけが一度も出演していないなど、かなり一線を画した活動状況となっている。2011年4月に行われた東京・代々木第一体育館前広場での東日本大震災支援プロジェクト「Marching J」の募金活動には参加した。




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