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薬丸裕英

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やくまるひろひで。1966年2月19日生まれ(57歳)、東京都武蔵野市出身、東京都港区白金台→東京都武蔵村山市→東京都東大和市育ち。「シブがき隊」の元メンバー。
別名義:ブラザー薬丸。愛称:一般的には「ヤックン」、コアなファンからは「ヤク」、「ヤクちゃん」、「克也」(TBS「2年B組仙八先生」前川克也役から)。妻は元アイドル歌手の石川秀美

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1980年、中学2年生(14歳)の終わりに、ジャニーズ事務所に履歴書を送って応募していた同級生(川崎)が面接に呼ばれたため、薬丸はその付き添いとして赤坂のTBSテレビまで行った所、友人と共に薬丸もジャニー喜多川からスカウトされ、ジャニーズJr.となる。そして翌週の日曜日、友人の川崎と共に、六本木交差点の喫茶店「アマンド」の前でジャニー喜多川と待ち合わせし、レッスン会場だったテレビ朝日の第1リハーサル室へと連れて行って貰った。

それから毎週レッスンに通い始めたものの、友人の川崎はダンスレッスンの厳しさに耐え切れず、すぐに退所。薬丸はレッスンに通い続けたが、当時のジャニーズJr.のリーダー格だった鈴木則行と揉めて、薬丸もレッスンに行かなくなってしまった。

それから数ヶ月経った1980年夏、ジャニー喜多川から電話が来て、銀座の電通本社に急遽呼び出され、ジャニーズJr.の中からハウス食品「ロッカッキー」のCMに出演できる4名を選抜するオーディションを受けさせられる。その結果、薬丸は合格し、近藤真彦のバックダンスチームの1人として、調布の大映スタジオでCM撮影を行った。これが薬丸の芸能界デビュー作となった。(雑誌『月刊TVスターランド』1981年4月号のP.68参照)

1981年1月、テレビドラマ『2年B組仙八先生』(TBS)のオーディションにも合格。同年4月より最も主役級の生徒である前川克也役を演じ、人気を博す。
同年2月11日には、日本劇場で行われた「サヨナラ日劇FESTIVAL」にて、たのきんトリオのバックダンサーとしてステージデビューも果たした。

1982年5月5日、アイドルグループ「シブがき隊」のメンバーとして、シングル『NAI・NAI 16(シックスティーン)』でレコードデビュー。

1988年11月2日にシブがき隊が解隊(解散)。薬丸だけはジャニーズ事務所に残ってソロタレントとして活動していたが、1年後に退所し、スリーシーズンへ移籍。

1990年6月、24歳の時に、1歳下の石川秀美と授かり婚。当時、石川は既に妊娠8ヶ月だった。

1996年、TBSの朝の帯番組『はなまるマーケット』(略称:「はなまる」)の司会者に抜擢される。以来、家庭、育児、食事をテーマにしたトークや司会、著書など、歌手時代とは違った芸域を開拓した。(1996年9月30日から2014年3月28日まで放送)
朝の「はなまる」名物コーナー「はなまるカフェ」の深夜版『ウラまるカフェ』において、司会の薬丸は自身をブラザー薬丸(薬丸の弟という設定で、サングラスをかけている)と名乗っていた。

2000年、世田谷区成城に土地 135坪、延べ床面積 111坪という、土地の推定価格だけでも5億円の豪邸を20年ローンで建築。

2018年6月25日、小学1年~中学3年まで過ごした東京都武蔵村山市の観光大使に就任。




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