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メッツ

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分類OBユニット

1975年にジャニーズJr.出身のメンバーたちによって結成された男性アイドルグループ兼バンド。バーニングプロダクションからデビュー。
その後、カワダブラザースカンパニーから再デビューした。

前身グループは、「ジューク・ボックス・ジュニア」→「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」。

[第1期メンバー(1975年2月 ~ 1976年12月29日)]

  • 山縣孝良 やまがたたかよし
    1957年5月4日生まれ(65歳)、東京都調布市出身、府中市育ち。愛称:タカ坊。ハモンドオルガン担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」→「ジュニア・スペシャル」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」メンバー。
  • 小坂まさるこさかまさる
    1957年9月27日生まれ(65歳)、大阪市天王寺区出身、大阪府河内市 → 4歳から大阪市住吉区育ち。本名:小坂勝秀。愛称:ヒデ坊、マチャル。リードボーカル&パーカッション担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」メンバー。
  • 近藤純市こんどうじゅんいち
    1958年9月27生まれ(64歳)、大阪市阿倍野区出身。愛称:ジャンボ。(愛称の命名者は江木俊夫)ドラム担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」メンバー。
  • 鈴木寛すずきひろし
    1958年10月13日生まれ(64歳)、東京都渋谷区恵比寿出身、新宿区育ち。愛称:ヒロ坊。ベース担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」メンバー。祖父は落語家の6代目三遊亭圓生。
  • 吉田義久よしだよしひさ
    1958年12月18日生まれ(63歳)、東京都府中市出身、国分寺市育ち。愛称:ヨシ坊、ヨシちゃん、よしだクーン。リードギター担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」メンバー。
  • 柏木孝夫かしわぎたかお
    1959年3月11日生まれ(63歳)、横浜市神奈川区松ヶ丘出身。愛称:タカちゃん。リズムギター担当。「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」メンバー。

[第2期メンバー(1978年 ~ 1979年)]

  • 小坂まさる(ボーカル&モンキータンバリン担当)※
  • 柏木孝夫(ベースギター&コーラス担当)※
  • 鈴木寛(リズムギター&コーラス担当)※
  • 砂野誠一いさのせいいち
    1958年11月10日生まれ(64歳)、東京都文京区出身。愛称:せいいち。元々はアイドルバンド「ジェット」のメンバーで、CBSソニーより『移り気な青春』でデビュー。 2期目からメッツに参加したため、ジャニーズ事務所の出身者ではない。ボーカル&ドラム担当。ライブハウス「音楽食堂 夢弦(MUGEN)」開店。
  • 青山浩一あおやまこういち
    1958年9月13日生まれ、東京都台東区出身。砂野と同じく、元「ジェット」のメンバー。2期目からメッツに参加したため、ジャニーズ事務所の出身者ではない。リードギター&コーラス担当。後の江蔵浩一えぐらこういち。2020年5月27日に肝臓癌のため死去。

1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア 第1期生」が、2つのグループに分割された。一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組(板野、林、山縣)で、「ジュニア・スペシャル」という新たなグループ名が与えられた。残りの6名(小坂、近藤、畠山、鈴木、吉田、柏木)は、特に新しいグループ名は与えられず、元の「ジャニーズ・ジュニア」名義のままで郷ひろみのコンサートのバックを務めた。
この人事に近藤は、「“ジュニア・スペシャル”の方が特別に聞こえる。僕らはハンパもんにされたみたい」と漏らし、小坂はフォーリーブスの北公次を尊敬していたために「フォーリーブスの方のバックで踊りたかった」などの不満を抱くようになっていた。

そして、夏のコンサートを終えた1974年9月、ついに小坂は近藤と共にジャニーズ事務所からの退所を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所からも飛び出した。そのため、ジュニア・スペシャルのメンバーになった山縣が元のジャニーズ・ジュニア側に異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられるも、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名も脱退&退所してしまい、エースはたったの一ヶ月で崩壊した。

そして同11月、ジュニアたちが「あにイ」と呼んで慕っていた郷ひろみのバーニングプロダクションへの移籍決定に伴い、退所した6名のジュニア(小坂、近藤、山縣、柏木、鈴木、吉田)、郷のマネージャーだった川崎淳士、ジュニア兼郷の付き人だった「クリマン」こと卯野直敏、そしてバンド「アニメーション」のドラム・長沢悟なども一斉に移籍することとなった。
郷ひろみにはジャニーズとの契約が1975年3月27日まで残っていたが、6名のジュニアには正式な契約というものが無かったので、一足先にバーニングへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成。1975年2月23日、大阪の枚方市民会館にてステージデビューした。

グループ名の「メッツ」は、メジャーリーグの「ニューヨーク・メッツ」からもじり、郷ひろみが命名した。ちなみに郷ひろみのバックバンドには「4 JETS」と名付けた。(後にメンバーが増加し、「4 JETS+2(フォージェッツ プラス ツー)」→「スーパーJETS」へと進化)

郷ひろみがバーニングに来てからは、しばらく郷のバック(『花のように鳥のように』など)に付いて「GO & Mets」として活動した。

1975年春、ファンクラブ「GO & Mets」を開設。会報誌のタイトルは『GO & Mets』を経て、同年8月から『めっつかわら版』に。
同年8月、メッツの単独全国ツアーを開催。このツアーから、歌って踊るだけではなく、楽器を持ってバンドスタイルでも活動するようになった。

同年11月25日、テイチクレコードのサブレーベルだったユニオンレコードより、シングル『レディ・レイは最高さ!』にてレコードデビュー。キャッチフレーズは「ダイナマイトメッツ」。

一方、「ジュニア・エース」からただ一人だけ移籍せずに事務所に残った畠山昌久、そして「ジュニア・スペシャル」の2名(板野、林)は、新たに「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」(通称:JJS)を結成し、メッツよりも9ヶ月早い1975年2月21日の時点でレコードデビューを果たしている。
なお、JJSとメッツに分裂後も、畠山、小坂、山縣、近藤の4名はしばらく同じ堀越高校に通っていたが、1975年3月で小坂は転出、近藤は退学(その後、林が転入)。林、柏木、鈴木の3名も、東京学園高校でしばらく一緒だったが、3名とも転出。つまり山縣だけが唯一、グループ分裂後もJJSのメンバーと一緒に学び続けた。

JJSの方は順調に活躍を見せていたのに対し、移籍組のメッツは地方のスーパーマーケットの新装開店時に呼ばれて歌うなどの営業仕事もしていたが、人気的にはメッツもJJSも五分だった。
しかし、メッツはリーダーを作らない合議制のグループだったことが裏目に出てしまい、メンバー間で方向性の違いが生じた時もまとめる役がおらず、1976年12月29日に港区白金台の結婚式場「八芳園」で行われた「メッツ解散さよならパーティー」をもって解散した。
(雑誌『ZOOM in』の1985年9月号に小坂が掲載された際、小坂はメッツのリーダーだったと書かれているが、これは誤り)

その後は小坂まさるがソロで芸能活動を行っていたが、しばらくしてから元メンバーの柏木と鈴木、更にアイドルバンド「ジェット」出身の砂野と青山を迎え、楽器を持った5人編成のロックバンドとして「メッツ」を再結成した。
(ファンの間では“新メッツ”や“ニュー・メッツ”などと呼ばれている。なお、第一期メッツにも、楽器を持ってバンドスタイルだった時期があった)
所属事務所も「カワダブラザースカンパニー」、レコード会社も「RCAレコード (後のBMG JAPAN)」に変わり、1978年10月に再デビューを果たしたが、やはり人気は終息する一方で、翌1979年には再び解散してしまった。

なお、アイドルバンド「ジェット」は、砂野誠一(ドラム)、青山浩一(ギター)、山田直毅(ボーカル&ギター。堀越高校出身。後に「MMP(ミュージックメイツプレイヤーズ)」に参加。母は浪曲師の天津羽衣、妻は石川ひとみ)と、柴崎秀一(ベース。同じく後に「MMP」に参加。2005年に逝去)の計4人組で、1976年11月1日にCBSソニーから『移り気な青春 c/w 突然の夜』でデビュー。TBS「ぎんざNOW!」にもレギュラー出演していた。




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