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畠山昌久(畠山久)

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はたけやままさひさ。1958年2月9日生まれ、東京都立川市出身。
本名・旧芸名:畠山昌久。愛称:チャーリー、チャリ坊。2003年5月31日転移性胆管癌のため死去。45歳没。
元「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」、「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」の元メンバー。
改名歴:畠山昌久 (1973年3月 – 1979年5月。ジャニーズ時代)→ 畠真之はたまさゆき(1980年)→ 畠山昌久(再び。1984年 – 1986年)→ 畠山久はたけやまひさし(1987年 – 2003年)

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1958年2月9日、東京都立川市の永井産婦人科病院で産まれる。
両親がスパニッシュダンスの講師だったため、畠山は0歳の時から父親のショーについて各地を回っていた。(父・正道と母・麗子は共にスパニッシュダンスの講師で、「畠山舞踏研究所」を営んでいた。)

1973年3月、中学卒業を控えていた時に「ミュージカルタレントになりたい」と決意。舞踏家の父の賛成を得て、中学卒業の2日前に、両親と共にジャニー喜多川を訪ねて相談した結果、「僕の所にいらっしゃい」と受け入れて貰う。

1973年当時、25人くらい居たジャニーズJr.の中から、1軍メンバーとして選び出された6名(小坂まさる板野俊雄、山縣孝良、鈴木寛、林正明、畠山昌久)で、同年5月5日 – 6日に日本劇場で行われた『第46回ウエスタン・カーニバル 郷ひろみショー』にて、「ジャニーズ・ジュニア」としてデビューした。

1974年10月、「ジャニーズ・ジュニア・エース」に参加。しかし翌11月にエースが早くも崩壊したため、「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」の前身グループである「ジュニア・スペシャル」に異動。

1975年2月21日、「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」(通称:JJS)のメンバーとして、『ベルサイユのばら』でレコードデビュー。

1978年にJJS解散。同年7月21日、新たに「VIP」のメンバーとして再びレコードデビュー。

1979年5月13日にVIPを脱退。その後、渡辺プロダクションに移籍して、1980年に「畠真之」の芸名で短期間だけ俳優活動を行った。

4年ぶりに俳優に復帰すべく、1984年に劇団四季へ入団(研究所 21期生)。再び「畠山昌久」の名に戻して活動し、1986年一杯で退団した。

1987年より「畠山久」に改名。以後、数多くのテレビドラマやミュージカルで活躍した。

2003年5月31日、転移性胆管癌のため逝去。 45歳没。
晩年は東京都大田区山王の広い一戸建て(元々は畠山の祖父宅だった家)で暮らしていた。




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