デビュー:1973.05.05
1973年5月5日に結成された「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」とは、フォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーとして活動していたグループを指す。
先ず1969年初頭頃から同年末にかけて、「ジャニーズJr.」の呼称が一時消滅していた時期がある。その間のJr.は「ジューク・ボックス」と呼ばれていたが、ファンに対して行われたJr.の人気投票で上位6名を選抜し、1969年末に同じ「ジューク・ボックス」名義で正式にグループ化された。
ジューク・ボックスがグループ化されて以降、残りのJr.は「ジューク・ボックス・ジュニア」と呼ばれるようになる。
この名義では、1971年8月のミュージカル『少年たちシリーズ第5作 ~ フォーリーブス・ミュージカル 明日なき友情』、1972年1月~3月のミュージカル『少年たちシリーズ第6作 ~ フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ!』(1971年10月公演には不参加)、1972年12月のミュージカル『フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』などに出演。テレビでも、1972年12月より郷ひろみの看板バラエティ番組『ひろみと共に』(テレビ東京。毎週金曜正午からの30分番組)にアシスタントとしてレギュラー出演を開始した。
翌1973年5月5日~6日に日本劇場で行われた『第49回 ウエスタン・カーニバル 郷ひろみショー』にて、板野俊雄、林正明、畠山昌久、山縣孝良、鈴木寛の5名で「ジャニーズ・ジュニア」として登場し、ジャニーズJr.の呼称が復活(このステージでは小坂まさるはソロ名義で出演)。これが後にグループとしての「ジャニーズ・ジュニア(第1期生)」となっていった。
メンバーが続々と増えていく中、1974年春に、小坂、板野、林、畠山、山縣、鈴木、柏木孝夫、近藤純市、吉田義久(吉田は1974年3月の一番最後の参加者)の9名に定着したため、ジャニーズ・ジュニアの第1期生はファンから「9人ジュニア」という俗称でも呼ばれた。
なお、9名に定着するまでの間には、鳥越晃(倉田まり子(後の坪田まり子)のマネージャーを経てジャニーズ事務所にスタッフとして復帰し、田原俊彦 → ひかる一平 → シブがき隊の順でマネージャーを担当)、原川吉臣(「リトル・リーブス」リーダー)、鈴木節夫、池田洋の4名も一時参加していた。
[9人ジュニアメンバー]
- 小坂まさる
1957年9月27日生まれ(65歳)、大阪市天王寺区出身、大阪府河内市 → 4歳から大阪市住吉区育ち。愛称:ヒデ坊、マチャル。「メッツ」メンバー。 - 板野俊雄
1956年4月26日生まれ(66歳)、山口県徳山市(現・周南市)出身。愛称:トシちゃん。「ジュニア・スペシャル」→「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」→「VIP」→「ジャPAニーズ」メンバー。「板野としお」改名。 - 林正明
1958年8月30日生まれ、神奈川県川崎市出身、横浜市保土ヶ谷区育ち。愛称:マーちゃん、ドラキュラ。「ジュニア・スペシャル」→「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」→「VIP」メンバー。2016年5月25日急性心筋梗塞のため死去。57歳没。 - 畠山昌久
1958年2月9日生まれ、東京都立川市出身。愛称:チャーリー、チャリ坊。
「畠山久」、「畠真之」に改名。「ジュニア・スペシャル」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」→「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル」→「VIP」メンバー。2003年5月31日転移性胆管癌のため死去。45歳没。 - 山縣孝良
1957年5月4日生まれ(65歳)、東京都調布市出身、府中市育ち。愛称:タカ坊。
1972年、中学校3年の夏休みに、渋谷へ映画を観に行った帰りに、渋谷公会堂へ『NTV 紅白歌のベストテン』を観覧しに寄った際、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川によってスカウトされ、同年11月よりダンスレッスンに参加。 翌12月にミュージカル『フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』にて、「ジューク・ボックス・ジュニア」のメンバーとしてデビュー。その後は、「ジュニア・スペシャル」→「ジャニーズ・ジュニア・エース」→「メッツ」メンバー。 - 鈴木寛
1958年10月13日生まれ(64歳)、東京都渋谷区恵比寿出身、新宿区育ち。愛称:ヒロ坊。
中学時代に友人から勧められ、雑誌で募集していた「郷ひろみとミュージカルに出てみませんか」に応募し、ジャニーズ事務所に入所。「ジャニーズ・ジュニア・エース」→「メッツ」メンバー。祖父は落語家の6代目三遊亭圓生。 - 柏木孝夫
1959年3月11日生まれ(64歳)、横浜市神奈川区松ヶ丘出身。愛称:タカちゃん。中学時代に「郷ひろみとミュージカルに出てみませんか」という雑誌記事を見て応募し、ジャニーズ事務所に入所。「ジャニーズ・ジュニア・エース」→「メッツ」メンバー。 - 近藤純市
1958年9月27生まれ(64歳)、大阪市阿倍野区出身。愛称:ジャンボ。
中学2年の夏、日本テレビ『スター誕生!』の広島大会に出場し、惜しくも2位になる。その後、「郷ひろみとミュージカルに出てみませんか」という雑誌記事を見て応募し、ジャニー喜多川から渋谷の木下ビルにあった合宿所に呼ばれて個人面談を受け、ジャニーズ事務所に入所。「メッツ」メンバー。 - 吉田義久
1958年12月18日生まれ(64歳)、東京都府中市出身、国分寺市育ち。愛称:ヨシ坊、ヨシちゃん、よしだクーン。中学3年生の時にジャニーズ事務所に入所。「ジャニーズ・ジュニア・エース」→「メッツ」メンバー。
この9名で、ジャニーズ事務所の自主制作による2枚組ライブLP『フォーリーブス・郷ひろみ ジョイント・リサイタル』に参加、フォーリーブス主演の映画『急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS』(1974年7月、東宝)や、北公次主演の連続テレビドラマ『ボクは恋人』(1974年7月からの参加、フジテレビ)などにも出演。
当時は、「1、2、3、4、郷ひろみ! 6、7、8、9、ジュ~ニア!」という応援コールもあった。
しかし1974年夏、ジャニー喜多川は9名のジュニアを3名(板野、林、山縣)と6名(小坂、近藤、畠山、鈴木、吉田、柏木)に分割し、3名の方にだけ「ジュニア・スペシャル」という新しい名称を与えた。この采配が引き金となり、紆余曲折を経て、9名中の6名(小坂、近藤、山縣、鈴木、吉田、柏木)がバーニングプロダクションへ移籍して「メッツ」を結成。ジャニーズ事務所に残った3名(板野、林、畠山)は「JOHNNYS’ ジュニア・スペシャル(通称:JJS)」を結成し、それぞれレコードデビューを果たした。
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