1955年10月18日生まれ(67歳)、福岡県糟屋郡須恵町出身、東京都品川区広町育ち。
デビュー:1972.01
デビュー曲:男の子女の子(1972.08.01)
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ごうひろみ。1971年(15歳の時)、近所のおばさんが勝手に、東宝映画「潮騒」の公募に郷の写真を送り、書類審査が通り、渋々オーディションを受けるが、「体が小さい」ということで不合格。審査員の一人、ジャニー喜多川の目に留まり、その場でスカウト。
郷の母親・輝代さんは子供の躾に厳しく、そのオーディション会場に行くときに郷が「やっぱり僕行きたくないんだけど」と言うと、いきなり母から頬を平手打ちされ「あんたは九州男児なんだよ。男っていうのは、一回言ったら最後までやるのが男なんだよ」と言われた。郷は「あの一撃…母親から叩かれたっていうのがなかったら、行かなかった可能性もあります」と懐古している。(スポニチ 2022年7月31日)
スカウトから2週間後、ジャニー喜多川に「合宿所に遊びにおいで」と言われ、そのままNHKに連れていかれ、プロデューサーとジャニーと郷の3人で軽いインタビュー受けた15分後、ジャニーから「おめでとう大河ドラマ決まったからね」と告げられ、翌年1972年の大河ドラマ「新・平家物語」で、平清盛の弟、経盛役で俳優デビューが決定した。(スポニチ 2022年7月31日)
さらに、その日NHKの後、ジャニーに連れられて北海道・旭川でのフォーリーブスのショーを観に行った際、ショーの最中にメンバーの江木俊夫から名前を呼ばれ、いきなりステージに上げられる。観客に向かって「原武裕美です」と自己紹介の挨拶をした。
その後、更にステージ出演を重ねていく中で、会場から「ゴー!ゴー!レッツゴー!ひろみ」という声援を受けるようになったことから、ジャニーが「郷ひろみ」の芸名を与えた。その後、「郷」には「5人目のフォーリーブス」という意味もかけられた。
フォーリーブスの付き人をする中、高校1年生だった1972年1月、上述した経緯で内定していたNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優デビュー。更に同年8月1日には、CBSソニーから『男の子女の子』でレコードデビューも果たした。
キャッチフレーズは「フォーリーブスの弟」、「ヤングのエース登場!」。女の子に間違えられる程に可愛くて甘いルックスと、鼻にかかった独特の歌声が若い女性の人気を博し、一躍トップアイドルとなった。
1970年代、野口五郎、西城秀樹と共に「新御三家」の一人として日本を代表する程の絶大な人気を誇った。
1973年の暮れ、ジャニーズ事務所の退所につながる疑問を持ち始める。
郷の母親が事務所の待遇に不満を抱き、給料の引き上げ要求。相互信頼による無契約状態だったが、1975年3月27日までの1年契約が正式に結ばれた。ジャニー喜多川との親密な儀式に辟易し、まるで人形のようになって仕事をこなすだけの日々にも疑問を持つようになった。
その頃、バーニングプロダクションの社員、小口健二が郷の実家に通い、自社への移籍について熱心に両親を説得していた。こうした流れをジャニーズ側は食い止めることが出来ず、1974年11月、ついに郷はバーニングへの移籍手続きを行った。
郷の決断に、ジャニーズJr.6名(後の「メッツ」)らも、「一緒に移る」と続いた。しかし、郷はジャニーズとの契約が翌1975年3月27日まで残っており、すぐには移ることが出来なかった。
一方、6名のJr.たちはジャニーズ事務所との正式な契約が無かったため、郷よりも一足先にバーニングへと移り、新グループ「メッツ」を結成。
1975年3月27日、千葉県船橋市で行われたコンサートが、郷にとってジャニーズ事務所での最後の仕事となり、翌3月28日より、バーニングプロダクションで新たなスタートを切った。
なお、バーニングプロダクションの力が強大だったこともあり、特に郷とジャニーズとの間に対立は無く、ジャニーズのタレントとも歌番組などで普通に共演している。
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