1981年10月17日生まれ(41歳)、神奈川県藤沢市出身。
デビュー:1995
デビュー曲:BACKBORN(2010.02.24)
いまいつばさ。アイドルデュオ「タッキー&翼」の元メンバー。
[関連ソロ・ユニット]
姉がジャニーズ事務所に応募したことをきっかけに1995年4月23日に入所。同期生は滝沢秀明、屋良朝幸ら。13歳だった当時はX JAPANが好きだったため、アイドルになることには気乗りせず、オーディションにも渋々参加していたが、そこで「YOUダンスいいね!」とジャニー喜多川に言われたことでダンスに目覚める。ジャニーズJr.として活動を開始し、滝沢らと共に高い人気を誇る。
2000年1月1日、台湾大震災による台北の被災地を慰問し、義援金を寄贈。
2002年3月、滝沢秀明とユニット「タッキー&翼」を結成。 同年9月11日にアルバム『Hatachi』でCDデビュー。
2004年8月、構成、演出、衣装、振り付けも手掛けた初のソロコンサートを行う。
2005年、東京帽子倶楽部主催の「ハットグランプリ 2005」の男性の部にて、グランプリを受賞。
同年、ソロコンサートツアーの追加公演のリハーサル中につまづき、小左足甲を骨折。痛みを押して2日間の公演を務め、同年12月31日のジャニーズカウントダウンコンサートにも出演した。2006年2月開幕のミュージカル『SHOCK』の出演は、2月中は錦戸亮が代役を務め、今井は3月から復帰した。
2007年8月4日、芝居(セリフ)は一切無く、全編に渡ってダンスのみで構成された舞台作品「World’s Wing 翼 Premium」の主演を務める。
2010年2月24日、シングル『BACKBORN』でソロデビュー。
同年7月、2008年まで少年隊が主演していたジャニーズ事務所の伝統的なミュージカル『PLAYZONE』の主演を引き継ぐ。その後、青山劇場が閉館する2015年まで6年にわたってシリーズの主演を務めた。
2012年6月14日、世界初の「スペイン文化特使」に就任。
同年12月、『バーン・ザ・フロア』日本公演にて、日本人初のスペシャルゲストダンサーを務める。
2013年9月17日、日本スペイン交流400周年の「スペイン親善大使」に就任。
2017年9月、タッキー&翼の活動休止を発表。
その後、活動を再開することなく、2018年9月10日付でユニットを解散したことを、同月13日に文書にて事後報告した。同時に、今井は以下のコメントも文書で報告。
「私、今井翼は現在も病気療養中の身です。まずは自分の身体としっかり向き合うため、ジャニーズ事務所を退所し、仕事という背負いも無くした状態で病気を克服し、心身ともに健康な状態になることに専念したいと思います。この先のことについては、全くの白紙ですが、自分の心身が健康な状態になってから考えたいと思いますので、その時が参りましたら改めて皆さまにご報告できるように頑張っていきたいと思います。」
退所後の予定については、まずは持病のメニエール病の治療に専念。白紙ではあるものの、芸能界は引退せずに、いつの日か何らかの形で再開したい思いでいると報道された。
しかし、今井のコメントやマスコミ報道では、今井の退所日が正確にはいつなのか、その「日付け」については漏れており、ずっと不明瞭であったが、タッキー&翼の解散時に2人にインタビューもしたスポーツニッポン紙が、2018年12月6日付のスポニチアネックスにて、
「今井は9月をもって事務所との契約を終了しており、退所したタレントがカウントダウン公演に出演するのは史上初」
更に2019年1月1日付のスポニチアネックスでも、
「今井は9月をもってジャニーズ事務所を退所」
と記載した他、2018年9月半ばの時点でジャニーズファミリークラブのスタッフも、ファンからの問い合わせに対し、今井は既に退所済みだと回答している。
これらのことから、今井は「ジャニーズ事務所との契約が切れる2018年9月10日をもって、更新を行わずに退所した」と見られる。
なお、解散を発表した当初、有料公式サイト「Johnny’s web」の今井の連載ページに「9月末日でサービスを終了」と告知されたことで、「退所日も9月末日?」などと見る向きもあったが、結局その後、サービスの終了が延期され、2019年1月1日の朝まで閲覧することが出来た。また、今井の公式写真は2018年一杯までジャニーズショップで販売されていた。
2020年2月、事務所には所属せずフリーの状態で、システィーナ歌舞伎『NOBUNAGA』に出演し、芸能活動を再開。
同年4月1日、芸能事務所「松竹エンタテインメント」に所属し、同日にオフィシャルサイト、およびファンクラブ「ALA[s](アラス)」を開設。
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