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曽我泰久(曾我泰久)

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そがやすひさ。1963年1月7日生まれ(60歳)、東京都北区赤羽出身。
本名:同じ。旧芸名表記は簡略字の「曽我泰久」。リトル・リーブス時代は「そが泰久」名義。バンド「THE GOOD-BYE」のリーダー。
愛称:ヤッチン、オサム(リトル・リーブス結成時の一番最初の愛称。当時の曾我があまりにも小さく、『黒ネコのタンゴ』を歌っていた皆川おさむに似ていたから)。

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1963年1月7日に生まれ、東京都北区の赤羽台団地にて育つ。

1974年初頭、小学5年生の3学期の時に、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』での“君もジャニーズ・ジュニアになろう”という募集を見た3歳年上の姉が、「郷ひろみに会いたい」という理由で弟の履歴書を送る。同年3月3日に行われたオーディションでジャクソン5の『ベンのテーマ』(フィンガー5による日本語カバーバージョン)を歌った所、ジャニー喜多川の耳に留まって合格。11歳でジャニーズ事務所に入る。(9歳でデビューしたという説は誤報)
その直後、山口県で行われた「郷ひろみショー」にて、郷ひろみとのデュエットで『ベンのテーマ』を唄い、いきなりのステージデビューを果たす。

同年4月1日、「リトル・リーブス」を結成。同時にNHK『レッツゴーヤング』へのレギュラー出演も決定。
同年10月、松原秀樹とのコンビで「リトル・ギャング」結成。翌1975年7月25日、ビクターRCAよりシングル『アイ・ラブ・ユー』でレコードデビュー。

1975年秋、肝炎で一ヶ月入院。

1976年、「ギャングス」結成。「ジャニーズ少年団」にも参加。

1979年、川﨑麻世のバックコーラスダンスグループ「ピラミッド」を結成し、「ジャパニーズ(後のジャPAニーズ)」にもサポート参加。

1980年、6人編成のバンド「ANKH」結成。フォーライフ・レコードよりデビュー。

1982年、田原俊彦の専属バックバンド「村田勝美&ハイクエッチョンズ」に参加。

1983年、野村義男らとバンド「THE GOOD-BYE」を結成。所属事務所はジャニーズ事務所の系列子会社「ジャニーズ出版」に。そしてビクターより、シングル『気まぐれOne Way Boy』でレコードデビュー。日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。

1990年、THE GOOD-BYEの活動を休止し、ジャニーズ出版からも独立。インディーズレーベルを立ち上げ、ソロ活動を開始。同年8月8日には、ファンクラブ「Y’s Club」も結成。ファンクラブ会報名は『Y’s Times』。
以降、数多くのミュージカルにも次々と出演。また、舞台を拠点に活躍するミュージシャン集団「actors-music.com(アクターズ ミュージック ドット コム)」も主宰。

2006年秋、舞台『アポロ・ボーイズ ~THE APOLLO BOYZ~』の劇中バンドとして「THE APOLLO BOYZ」を結成。舞台終了後もバンドだけは存続。

2008年3月7日の『デイリースポーツ』の紙面にて、同月3日に入籍したことが発表された。相手は17歳年下のバイオリニストで、挙式・披露宴は後に近親者のみで行われた。
なお、曾我はこの結婚の報告をファンに対して行わなかったため、古参ファンの間ではしばし論議を呼んだ。後に曾我はブログにて謝罪している。また、この結婚は「授かり婚」で、同年に女児が誕生している。

2010年より、加藤タクヤと組んでシルバーアクセサリーの販売を開始。なお、加藤は野村義男とも2006年よりコラボアクセサリーを製作・販売している。




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