まいえひろみ。1946年11月1日生まれ。2000年3月6日心筋梗塞で死去。53歳没。東京都渋谷区西原出身、杉並区上高井戸育ち。
本名:眞家弘敏。別名義:立花正太郎。
「初代ジャニーズ」の元メンバー、リーダーとして「真家ひろみ」名義で活躍。愛称:ヒロミ、マイエ。
ジャニーズ事務所出身の男性タレントでは、真家ひろみが最初にこの世を去っている。
[関連ソロ・ユニット]
[改名歴]
- 真家ひろみ(1962年 – 1967年12月31日)
- 真家宏満(1968年 – 1972年)
- まいえ宏満(1972年後半 – 1973年)
- 再び真家宏満(1973年 – 1979年)
- 立花正太郎(1979年 – 2000年3月6日。命名者は作家・池波正太郎)
1962年4月、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成。1964年11月5日にレコードデビュー。
1967年12月31日、ジャニーズが解散。同時にジャニーズ事務所からも退所した。
その後は所属事務所を転々としたり、芸名を幾度も改名しながら、ワイドショー(フジテレビ『3時のあなた』1968年4月3日 – 1969年3月)のサブ司会、俳優活動、作詞活動(日本作詞家協会の会員にもなる)、更には日活ロマンポルノ出演までこなした。
1969年7月の映画『ひばり・橋の花と喧嘩』での共演がきっかけで交際していた松竹の女優・中川加奈(当時の本名:仲川和子)にプロポーズをするも破談(中川は後にレオナルド熊の2人目の妻に)。
その後、元・宝塚歌劇団54期生で1歳下の声楽家・ソプラノ歌手、白河かほる(本名:恵知子)と結婚し、1977年に女児をもうける。夫婦で個人事務所「(有)真家企画」も設立。
1982年、タクシー運転手に転身。その模様は猪瀬直樹の著書『あさってのジョー』(文庫化の際に『日本凡人伝 ~ 二度目の仕事』に改題)や、1997年、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』でも取り上げられた(『ザ・ノンフィクション「映像空間 ’97 ~ タクシー人情交差点」』)。
1995年、念願だった個人タクシーの資格を取得。その後間もなくして、妻と娘が一緒に家を出て行き、別居生活に入る。原宿(渋谷区神宮前1丁目)のマンションに残された真家は、ずっと独り暮らしをしていた。
2000年3月6日午前2時55分、心筋梗塞のために新宿区の病院で逝去。53歳没。晩年に愛煙していたタバコは「ピース・ライト・ボックス」。酒も多く飲んでいた。
立花(真家)の告別式では、祭壇にジャニーズ事務所から花すら届いていないことに対し、フォーリーブスの青山孝や、元ハイ・ソサエティーのリーダー・高橋洋一らジャニーズOBたちが、「対応がひどすぎる!」と激怒した。
高島忠夫や桜塚やっくんと同じく、川崎市多摩区の高級公園墓地「春秋苑」に眠っている。
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