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中谷良

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分類歴代ソロ

1947年9月18日生まれ(75歳)、東京都渋谷区初台出身、同区代々木育ち。
デビュー:1962.04
デビュー曲:ひとりぼっちになったとき(ジャニーズのシングル「君が若者なら」のB面で中谷良のソロ名義)(1966.01)

なかたにりょう。本名:中谷良三なかたにりょうぞう。「初代ジャニーズ」の元メンバー。愛称:良ちゃん、良、良三。「ジャニーズ」解散時に退所し、1974年の夏から1年ほどジャニーズ事務所にソロで復帰。

[関連ソロ・ユニット]

1962年4月、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成。1964年11月5日にレコードデビュー。
1967年12月31日、ジャニーズが解散。 同時にジャニーズ事務所からも退所した。

その後、渡辺プロダクションに移籍してバンドを結成するも、活躍できずに終息してしまったため、大阪に出向いて振付師の山田卓の元へ身を預け、2年間に渡りナイトクラブを回って演奏活動をしていた。
その途中、一時帰京していた1969年3月中旬に、東京・赤坂で交通事故を起こす。その際、睡眠薬のハイミナールを飲んでおり、無免許で、しかも車が盗難車だと発覚して警察に逮捕された。
同年12月にはジャニーズ事務所から仕事を貰い受け、後輩のフォーリーブスのミュージカル『オオ・マイ・ママ』にも出演した。

本格的に帰京した後は、赤坂のディスコ「ミステリーゾーン あなぐら」の店長を2年間務めながら、たまにジャズバー「よいどれ伯爵 六本木店」で歌っていた。1974年の夏から1年ほどジャニーズ事務所に復帰し、後輩のフォーリーブスや郷ひろみのミュージカルに出演。

1976年7月19日、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』にて、あおい輝彦が『あなただけを』を歌う際、飯野おさみと共に応援ゲストとして駆けつけた。そして3人で即興で、ジャニーズのヒット曲『太陽のあいつ』をワンコーラスだけ披露した。

その後、千代田区麹町の芸能事務所「JRプロモーション」に所属し、1977年5月25日に宇崎竜童が作詞・作曲したシングルレコード『悲しきティーンエイジ・アイドル』をリリース。キャッチフレーズは「甦る湘南ポップス!」だった。(同曲はダウンタウン・ブギウギ・バンドのカバー〔1975年12月1日発売のアルバム『ブギウギ・どん底ハウス』に収録〕)

更にその後、長い低迷、沈黙の末、1989年に暴露本『ジャニーズの逆襲』を上梓。1992年には元・フォーリーブスの北公次主演のVシネマ『怪獣の観た夢』にも出演した。同じく1990年代には、あおい輝彦のコンサートにも特別ゲストとして出演した。




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