デビュー:1962.04
デビュー曲:若い涙(1964.11.05)
ジャニーズ事務所の歴史がここからスタート。
ジャニーズ(Johnnys)とは、かつてジャニーズ事務所から最初にデビューを飾った日本のアイドルグループ。
1962年4月結成。1967年12月31日解散。別名義:THE JOHNNYS。
ジャニーズは便宜上、「初代ジャニーズ」、「元祖ジャニーズ」と呼ばれることもある。
[メンバー]
- 飯野おさみ
1946年8月23日生まれ(76歳)、愛知県渥美郡(現・田原市)出身、東京都渋谷区幡ヶ谷育ち。愛称:オチャミ、チャミ、イノちん。 - 真家ひろみ(リーダー)
1946年11月1日生まれ、東京都渋谷区西原出身。愛称:ヒロミ、マイエ。2000年3月6日心筋梗塞で死去。53歳没。 - 中谷良
1947年9月18日生まれ(75歳)、東京都渋谷区初台出身、同区代々木育ち。愛称:良ちゃん、良、良三。 - 青井輝彦(「あおい輝彦」に改名)1948年1月10日生まれ(75歳)、東京都杉並区出身、渋谷区初台 → 同区代々木育ち。愛称:テリー、アオイ、アオイ君、輝彦。
[脱退メンバー]
- 長田晴夫(後の安達明)
1948年9月4日生まれ、福岡県北九州市八幡西区本城出身、千葉県育ち。1962年3月1日、中学1年時に、TBS『10人抜きのど自慢』の初回放送にて、初代チャンピオンとなリ、ジャニー喜多川より勧誘の手紙を貰い、スカウトされる。初代ジャニーズのメンバーと共にレッスンを受けた。
1963年1月、ジャニーズのメンバーとなり、5名で「日劇ウエスタン・カーニバル」に出演するも、その後、長田はグループを抜け、青春歌謡歌手の道を目指す。 高校1年の1964年5月20日、「安達明」の芸名で、『潮風を待つ少女』にて日本コロムビアよりレコードデビュー。同年8月発売の2ndシングル『女学生』が大ヒットとなった。「御三家」に続く歌手「二代目 御三家」(安達明、梶光夫、久保浩)として、女学生たちの間で人気を博した。 1966年に「安達明とザ・フェニックス」を結成。その後徐々に低迷し、1968年に芸能界を引退。2011年5月20日死去。62歳没。
1962年4月にジャニー喜多川が監督していた少年野球チーム「ジャニーズ」の球拾いをしていた仲良しグループ4人組、飯野、真家、中谷、青井の4名でグループを結成。
結成当初は、芸能プロダクション「名和プロダクション」に籍を置き、タレント養成所「芸研」を設け、渡辺プロダクションと業務提携し活動を開始。
同年8月4日にNHK『夢であいましょう』にて田辺靖雄が歌う『いつもの小道で』のバックコーラスとして芸能界デビュー。
1963年1月、芸研で一緒にレッスンしていた長田を加えた5名で、「日劇ウエスタン・カーニバル」に初出演。伊東ゆかり(当時:伊藤ゆかり)の『ロコモーション』のバックダンサーを務める。その後、長田はグループから脱退。事務所も移籍し、「安達明」の芸名でソロ歌手に。
やがて池袋の「ドラム」、新宿「ACB(アシベ)」、銀座「美松」などのジャズ喫茶にも出演。当時はまだ「アイドル」という言葉も無く、基本的に日本人歌手は直立不動か、せいぜいポップスを歌う人がステップを踏む程度の時代だった。そんな中で、映画『ウエスト・サイド物語』に触発され、ダンスを取り入れた歌唱を編み出す。
こうしたダンスを踊りながら歌を歌うジャニーズの登場は、日本の芸能史において非常に画期的なことであった。
1963年、日本テレビ『味の素 ホイホイ・ミュージック・スクール』に木の実ナナのバックダンサーとしてレギュラー出演開始。この番組では、約1ヶ月間は“シルエット”のみのバックダンサー出演だった。照明をわざと暗くし、4人の姿はシルエットでしか見えないようにした結果、視聴者から「あれは誰だ?」という問い合わせが殺到。そして話題になった所で、「この子たちは“ジャニーズ”です」と発表された。これらは全てジャニー喜多川によるアイデアであり、この番組を機に、ジャニーズは一気にブレイクした。
1963年9月29日放送のフジテレビ『森永スパーク・ショー』にて、初めてテレビで歌を披露する。歌った楽曲はカスケーズの『悲しき雨音』。
1964年6月29日、名和プロから独立し、「ジャニーズ事務所」を創業。同年11月5日、シングル『若い涙』でレコードデビュー。
1965年12月31日に放送された『第16回 NHK紅白歌合戦』に出場し、『マック・ザ・ナイフ』を披露。
1966年8月28日、本格的なダンスレッスンをするために、3ヶ月の予定で渡米。経由地のハワイで一旦過ごし、8月30日にロサンゼルスに到着。ディズニーランドを観光後、ロスの市街地から約15マイル南のガーデナにある白い家(ジャニー喜多川の実家。当時はジャニーの兄[眞一]一家が居住)に下宿。
翌9月になって、遅れて日本からやって来たジャニー喜多川がジャニーズの4人と合流。以降、4人はミュージカルを鑑賞したり、マイク・カーブの協力を得ながらダンスやボーカルのレッスンに通った。
そういう状況の中、チャールズ・ストラウス、ビング・クロスビー、ザ・モンキーズらと出会う貴重な体験をしたり、レコードプロデューサーのバリー・デ・ヴォーゾンとも偶然出会い、バリーがオーナーを務めるレコードレーベル「ヴァリアント・レコード (Valiant Records)」と契約する機会に恵まれる。そのため、3ヶ月だった滞在予定を1ヶ月延長し、LPレコードの制作を始めた。計16曲ものオリジナル曲をレコーディングを終え、プロモーションフィルムまで制作したものの、当時のアメリカでは白人による日系人への人種差別が色濃く、日本人がLPを出したとしても、やはり販売ルートが確保できないという現実に直面し、LPの発売が暗礁に乗り上げてしまった。
同時に、リーダーの真家が「グループを解散したい」とも言い出していた。こうして、ジャニー喜多川とジャニーズは、1967年1月5日に日本へ帰国することとなった。
帰国後の1967年にヴァリアント・レコードがワーナー・ブラザース・レコードに売却されたことがきっかけで、同年7月になって、『I Remember』、『Nothing Sacred』の2曲だけはシングルのA・B面として、アメリカで「THE JOHNNYS」名義でリリースされた(Warner Bros. Records/7057/67.07.)。(『I Remember』は後にハイ・ソサエティーが2ndアルバムでカバー。少年隊もアルバム『PLAYZONE 2006 Change』にて、日本語詞に変えて『少年の想い出』の邦題でカバーしている)
1967年1月5日に日本へ帰国。同年4月にジャニーズにとって最も有名な代表曲となるシングル『太陽のあいつ』をリリース。同年6月~7月には、大阪フェスティバルホールで10日間、ミュージカル『いつか何処かで ~ フォーリーブス物語』を上演。
1967年11月20日、渋谷公会堂にて解散コンサートを開催。
このコンサートは3部構成で行われ、後輩グループのフォーリーブスも参加。第1部には「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」や「ザ・スパイダース」も友情出演した。なお、ブルー・コメッツはジャニーズのバックバンドを1年ほどやっていた時期がある。
同年11月27日、日比谷のレストランで解散についてのインタビュー取材を受ける。(週刊誌『女性自身』1967年12月11日号に小さくカラー掲載)
同年12月31日、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』にて「さよならジャニーズ・ショー ジャニーズ解散式」を放送し、同日付で解散した。(同年11月20日の渋谷公会堂での解散コンサートをもって解散したという説は誤り)
ジャニーズの当時のファンクラブは有料(入会金150円、年会費100円)のクラブだったが、ジャニーズが解散する際、入って間もない新しい会員への返金対応は無く、そのまま自動的に全員、フォーリーブスのファンクラブ会員へと移行させられた。
解散から2年後の1969年12月13日、日本劇場で行われた「オールスター・歌の祭典」にて、1日限りで「ジャニーズ」が再結成された。
ディスコグラフィ
シングル
「若い涙」VICTOR EP:SV-153 64.11.05
※「若い涙」はNHKバラエティ番組「夢であいましょう」1964(昭和39)年8月の歌。
若い涙 永六輔/中村八大/服部克久
ぼくの手袋破れてる 大倉徹也/中村八大/中村八大
「若い夜」VICTOR EP:SV-217 65.05.
若い夜 比良九郎/山下毅雄/山下毅雄
若いんだもん 安井かずみ/大沢保郎/大沢保郎
「若い涙」VICTOR EP:SVC-106 65..
※流行歌コンパクト盤。4曲入りEP。
若い涙 永六輔/中村八大/服部克久
ぼくの手袋破れてる 大倉徹也/中村八大/中村八大
若い夜 比良九郎/山下毅雄/山下毅雄
若いんだもん 安井かずみ/大沢保郎/大沢保郎
「焔のカーブ」VICTOR EP:SV-236 65.06.
※「焔のカーブ」はジャニーズが出演した1965年の日生劇場のミュージカル「焔のカーブ」主題歌。演奏:ザ・スパイダース。「焔のカーブ」はJOHNNYS’ ジュニア・スペシャルが9枚目のシングル(B面曲)としてカバー。(編曲:田辺信一)
焔のカーブ 石原慎太郎/三保敬太郎/三保敬太郎
ぼくらのでっかい袋 生田圭/三保敬太郎/三保敬太郎
「ガール・ハッピィ」VICTOR EP:SPV-46 65.06.05
※両A面シングル。レコードには原曲の作詞作曲者名は未記入。演奏は両曲とも「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」。「ガール・ハッピィ」はElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)の「Girl Happy」(RCA Victor/LSP 3338/65.03.)のカバー曲。「チキン・オブ・ザ・シー」は「海の臆病者 = 金槌」を歌った曲で、原曲は1964年にアメリカ西海岸の3人組ボーカルグループのThe Go-Go’s( ’80年代のガールバンドとは同名異グループ)がリリースした「(They Call Him) Chicken Of The Sea」。2種類のジャケットが存在。初回プレス分は4面ジャケットで、「スイム」の踊り方の解説付き。再プレス分以降は通常の2面ジャケット。初回分はジャケット右上のレコード番号の部分を切り取ってハガキに貼り応募することで、東レの最新流行水着<ピチ>が2,000名に当たる懸賞プレゼント付きだったため、締切日以降の再プレス分からは、ジャケットを刷新する必要があった。
ガール・ハッピィ 日本語訳:なかはらひろと、Doc Pomus, Norman Meade/Doc Pomus, Norman Meade/東海林修
チキン・オブ・ザ・シー 日本語訳:藤川桂介、Jeff Hooven, Hal Winn/Jeff Hooven, Hal Winn/東海林修
「栄光のマーチ」VICTOR EP:SV-292 65.10.
※「栄光のマーチ」は團伊玖磨(作曲家)の「キスカ・マーチ」に歌詞をつけたもの。原曲は東宝映画「太平洋奇跡の作戦 キスカ」のオリジナル・サウンドトラックに収録。(CINEMA-KAN/CINK-104/21.05.19)
栄光のマーチ 江間章子/団伊玖磨/森岡賢一郎
ぼくの瞳に君がいる 山上路夫/いずみ・たく/いずみ・たく
「ガール・ハッピー」VICTOR EP:SVC-122 65.
※流行歌ステレオ・コンパクト盤。4曲入りEP。
ガール・ハッピィ 日本語訳:なかはらひろと、Doc Pomus, Norman Meade/Doc Pomus, Norman Meade/東海林修
チキン・オブ・ザ・シー 日本語訳:藤川桂介、Jeff Hooven, Hal Winn/Jeff Hooven, Hal Winn/東海林修
栄光のマーチ 江間章子/団伊玖磨/森岡賢一郎
焔のカーブ 石原慎太郎/三保敬太郎/三保敬太郎
「君が若者なら」VICTOR EP:SV-338 66.01.
※付録カレンダー(半年分)封入。「ひとりぼっちになったとき」は中谷良のソロ名義作品。後に北公次、豊川誕がカバー。
君が若者なら 藤田敏雄/いずみ・たく/いずみ・たく
ひとりぼっちになったとき 竹内伸光/東海林修/東海林修
「泣いていたジェニー」VICTOR EP:SV-375 66.04.
※「涙くんさようなら」はJohnny Tillotson(ジョニー・ティロットソン)、坂本九、和田弘とマヒナスターズとの競作。その後も多数のアーティストたちがカバー。Hey! Say! JUMPの中島裕翔もカバーしている。
泣いていたジェニー 浜口庫之助/浜口庫之助/寺岡真三
涙くんさようなら 浜口庫之助/浜口庫之助/寺岡真三
「泣いていたジェニー」VICTOR EP:SVC-141 66.
※流行歌名曲シリーズ。4曲入りEP。ジャケット写真は、シングル盤「泣いていたジェニー」のジャケット写真の衣装に黒いトレンチコートを上から羽織っただけのものであり、同日に同じ広場にて撮影。
泣いていたジェニー 浜口庫之助/浜口庫之助/寺岡真三
涙くんさようなら 浜口庫之助/浜口庫之助/寺岡真三
君が若者なら 江間章子/藤田敏雄/藤田敏雄
ひとりぼっちになったとき 竹内伸光/東海林修/東海林修
「バットマン」VICTOR EP:SPV-72 66.05.30
※レコードにはNeal Heftiの名前は未記入。演奏は「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」で、フジテレビ・20世紀フォックスTV映画「バットマン」主題歌。両面共にNeal Hefti(ニール・ヘフティ)楽団のカバー。B面はザ・バッドマン・サウンド。
バットマン 水谷じゅん/Neal Hefti/服部克久
行け!バットマン -/Neal Hefti/服部克久
「おーいわーいチチチ」VICTOR EP:SV-450 66.08.
※「おーいわーいチチチ」は日本テレビ系ドラマ「オーイわーいチチチ」主題歌。「もう7時だよ」は中谷良がリードボーカル、他のメンバーはコーラス。
おーいわーいチチチ 浜口庫之助/浜口庫之助/浜口庫之助
もう7時だよ 浜口庫之助/浜口庫之助/近藤進
「霧の夜の哀愁」VICTOR EP:SV-476 66.10.
※ジャニーズが長期渡米して日本不在時にリリース。「霧の夜の哀愁」は青井輝彦がリードボーカル、他のメンバーはコーラス。「若者の帽子」は飯野おさみがリードボーカル、他のメンバーはコーラス。
霧の夜の哀愁 佐伯孝夫/服部克久/服部克久
若者の帽子 佐伯孝夫/服部克久/服部克久
「時計をとめて」VICTOR EP:SV-490 66.10.
※「時計をとめて」は青井輝彦ソロ名義。ジャニーズが長期渡米して日本不在時にリリース。両曲ともフォーリーブスがアルバムにてカバー(「時計をとめて」は青山孝のソロカバー)。「時計をとめて」の原曲は、スペイン語曲の「El Reloj(時計)」で、1957年にメキシコのバンド「ロス・トレス・カバジェロス」がリリースして大ヒットしたラテンの名曲。青井輝彦、青山孝以外にも、菅原洋一、アルゼンチン出身歌手のグラシェラ・スサーナ、倍賞美津子、布施明、そしてジャニーズJr.時代の平野紫耀など、他にも数多くのアーティストがカバー。
時計をとめて 日本語訳:かもまさる、Garcia R. Cantoral/Garcia R. Cantoral/服部克久
淋しさはどこから 安井かずみ/東海林修/東海林修
「太陽のあいつ」VICTOR EP:SV-566 67.04.
※ジャニーズの栞セットが特別付録。「太陽のあいつ」は松下電器提供TBSの同名テレビドラマの主題歌。「太陽のあいつ」はJOHNNYS’ ジュニア・スペシャルが9枚目のシングルとしてカバー。(編曲:田辺信一)
太陽のあいつ 岩谷時子/いずみ・たく/いずみ・たく
ロンサムガール 山上路夫/いずみ・たく/いずみ・たく
「I Remember」Warner Bros. Records EP:7057 67.07.
※「THE JOHNNYS」名義。1966年のロサンゼルス録音。「I Remember」は後にハイ・ソサエティーが2ndアルバムでカバー。少年隊もアルバム「PLAYZONE 2006 Change」にて、日本語詞に変えて「少年の想い出」の邦題でカバー。「少年の想い出」バージョンはジャニーズJr.もコンサートでカバー。[試聴1 ] [試聴2 ]
I Remember Jack Walker/Jack Walker/
Nothing Sacred Chandler-Mckendry/Chandler-Mckendry/
「いつか何処かで」VICTOR EP:SV-1005 67.09.10
※「いつか何処かで」は同年6月~7月のジャニーズ主演ミュージカル「いつか何処かで ~ フォーリーブス物語」劇中歌、および同年11月3日公開の日活映画『君は恋人』挿入歌。「素敵な恋人」は中谷良がリードボーカル、他のメンバーはコーラス。
いつか何処かで 加味優/服部克久/服部克久
素敵な恋人 笠井幹男/笠井幹男/服部克久
「若い日本の歌」VICTOR EP:SV-645 67.10.
※両A面シングル。ラストシングル。両曲とも第22回芸術祭参加作品。
若い日本の歌 石原慎太郎/いずみ・たく/いずみ・たく
日本の朝 石原慎太郎/いずみ・たく/いずみ・たく
アルバム
『ジャニーズ・ステレオ・ハイライト 第1集』VICTOR LP:SJV-176 66.
※6thシングルまでのA・B面を収録したベスト盤。全12曲。
A1.若い涙
2.焔のカーブ
3.若い夜
4.栄光のマーチ
5.君が若者なら
6.ぼくの手袋破れてる
B1.ガール・ハッピー
2.チキン・オブ・ザ・シー
3.ぼくらのでっかい袋
4.若いんだもん
5.ひとりぼっちになったとき
6.ぼくの瞳に君がいる
『ジャニーズとアメリカ旅行 EXCITING JOHNNYS SHOW!~ジャニーズ・ショー実況録音~』VICTOR LP:SJV-230 66.11.
※ライブアルバム。ジャニーズが長期渡米して日本に不在時にリリース。1966(昭和41)年8月21日に渋谷公会堂で行われた「行ってらっしゃいジャニーズショー」の模様を収録。演奏:山屋清とニュー・ジャズ・オーケストラ。「裸の少年」は作詞&リードボーカルは中谷良。ただし実際に作詞したのはジャニー喜多川。後に北公次、山田涼介がカバー。
A1.ジャニーズです
2.マック・ザ・ナイフ・メドレー:~マック・ザ・ナイフ~ダウン・バイ・ザ・リバーサイド~聖者の行進
3.淋しさはどこから
4.可愛いあの娘と乗る電車
5.ひとつ隣りの後ろへ3つ
6.ボクの部屋
7.裸の少年
8.蜜の味
B1.スワニー ~ ショータイム・オン・ウェイ
2.タフワフワイ
3.ロンサム・ポールキャッツ
4.ロンサム・タウン
5.想い出のサンフランシスコ
6.ハイホー・ハイホー ~ カリフォルニア
7.エイント・シー・スィート
8.セントルイス・ブルース
9.花のささやき
10.時計をとめて
11.想い出を胸に
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