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2021年1月

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洋楽ベストテン

Billboardの歩み 1966年

1966年の1位曲数が27曲というのは、ここまでの11年で初めてのことで、この後はまた「エントリー(入賞数)」が減るので、この記録は1974年まで破られません。またこの年は、4位以内に入ったエントリ数も60曲あり、やはり1974年まで破られません。 なぜエントリーが多かったか? 実は次の1967年には18曲に急に減るので、原因はよく分かりません。この年、年間に2曲のNo.1曲を送り込んだのは、ビートルズ(恋を抱きしめよう、Paperback Writer)、シュープリームス(恋はあせらず、恋はおしまい)、モンキーズ(恋の終列車、I’m a Believer)の3グループだけです(3曲以上はなし)。
洋楽ベストテン

Billboardの歩み 1967年

1位曲が前年の27曲から一気に減って18曲。決してこの年が不作だった、というわけではないのですが、スーパーヒットがなかったのも確かです。 この年に私が☆5つ付けたものは1曲のみ。それは、シーカーズのジョージー・ガールです。この曲は最高2位までしか上がりませんでしたし、年間チャートでも58位ですが、大好きな曲です。シーカーズは1965年に”I’ll Never Find Another You”というスマッシュヒットがありましたが、それもビルボードでは最高4位。豪州やUKではNo.1になってるんですけど。 そのほか、いくつかヒット曲があります。
洋楽ベストテン

Billboardの歩み 1968年

この年はさらに1位曲が減って、15曲に。ビートルズ、マーヴィン・ゲイ、ポール・モーリア、ボビー・ゴールズボロ、ラスカルズ。この5アーティストで31週も1位を占拠したのが、1位曲が少ない原因ですね。もう一つの特徴は、1位に2曲以上送り込んだアーティストがなかったこと。私の1968年のオススメは、恋はみずいろです。YouTubeには、ポール・モーリアの曲がたくさんアップされていて、恋はみずいろもコーラス入りバージョンやテイク違いが何種類かあります。
洋楽ベストテン

Billboardの歩み 1969年

1969年から3年間、ある奇妙なことが起こります。この年の1位は「16曲」ではなく、「16エントリー」ということになります。260番を見ると、ビートルズの「Come Together / Something」が1位になっています。これは251番、5th Dimensionの「Aquarius/Let the Sunshine In」の表記と微妙に異なることに注意してください。「Aquarius/Let the Sunshine In」は”メドレー”なのですが、「Come Together / Something」のほうは、シングルレコードの裏と表、つまり別々の2曲なんです。
ま行

みさと・るみ(みさと・るみ)ディスコグラフィ

1957年6月21日生まれ、沖縄県中頭郡美里村(現・沖縄県沖縄市)知花出身。“みさと・るみ”の芸名は大鵬親方が命名。本名は金城弘子。愛称はリンダ。調布アメリカン・スクール10年生、16歳でデビュー。キャッチフレーズは「2500キロのか...