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歌う映画スター

歌う映画スター-高田浩吉

画像出典:Wikimedia Commons

今でこそ映画俳優が歌を歌ったり、また逆に歌手が芝居をしたりといったことも珍しくなくなった。それだけ本物の歌手、本物の俳優がいなくなったということなのかもしれない。
歌う映画スターの草分的存在は、男優では高田浩吉、女優では高峰三枝子である。その後も高田の愛弟子・鶴田浩二や戦後の大スター・石原裕次郎などが主演映画の主題歌などを歌い、ヒットを出している。
歌手の魅力はまず第一にその「声」である。映画俳優には「声」の魅力はないが、その代わり、歌手にはない俳優ならではの「ムード」といったものが、彼らの歌の魅力と言えよう。

高田浩吉 (1911-1998)

1926(大正15)年、松竹下加茂撮影所に入社、同年、衣笠貞之助監督の「照る日くもる日」でデビュー。
1930(昭和5)年、「仇討破れ袴」で初主演、人気を得る。林長二郎(後の長谷川一夫)、坂東好太郎とともに松竹京都の三羽烏といわれる。
1935(昭和10)年、主演した映画「大江戸出世小唄」では主題歌も歌い、ヒットさせる。
戦時中は、高田浩吉劇団を創り、地方巡業を行う。戦後、再び松竹に復帰。
1954(昭和29)年からの「伝七捕物帖」シリーズは当たり役となる。歌手としても、1952(昭和27)年にコロムビアから出した「伊豆の佐太郎」がヒット。翌年、新東宝が同名で映画化する。1962(昭和37)年以降は、主に舞台で活躍。

小林重四郎 (1909-1996)

1926(大正15)年、宝塚国民座に入り、舞台俳優として活躍。1929(昭和4)年、日活太秦撮影所に入社、「雲井龍雄」で映画デビュー。
1935(昭和10)年に出演した「国定忠治」では劇中歌を歌い、これが好評となり、レコードを発売。その後、テイチクの専属歌手となる。
俳優としては、他に「江戸は移る」「渡り鳥信州路」などに出演。戦後も脇役として、映画、舞台に数多く出演。

榎本健一 (1904-1970)

1922(大正11)年、根岸歌劇団の柳田貞一に弟子入り、コーラス部員となる。
1929(昭和4)年、浅草で始ったカジノ・フォーリーに参加。その後、座長としてカジノ・フォーリーを再開、エノケンの愛称で親しまれ、浅草で絶大な人気を得る。1932(昭和7)年にはエノケン一座を結成。1934(昭和9)年、PCLと契約し、「エノケンの青春酔虎伝」「どんぐり頓兵衛」「エノケンのチャッキリ金太」「エノケンの法界坊」など数々の喜劇映画に主演。
舞台や映画の中で「私の青空」「洒落男」「エノケンのダイナ」「エノケンの月光価千金」などの海外のジャズ・ソングを独特の濁声とコミカルな歌い方で歌い、ヒットさせる。
1962(昭和37)年、脱疽により右足を切断するが、翌年、義足をつけて舞台に立った。

森繁久弥 (1913-2009)

1935(昭和10)年、日劇の舞台に立ち、役者としてデビュー。
その後、東劇や古川ロッパ一座で舞台経験を積む。
戦時中は満州の新京放送局のアナウンサーも務める。戦後、再びムーラン・ルージュなどで舞台俳優として活躍。また、NHKでディスク・ジョッキーも務める。
1950(昭和25)年、新東宝の「腰抜け二刀流」で映画初出演。その後、「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」など、数多くの喜劇映画に主演する。
また、歌手としても自ら作詞・作曲した「知床旅情」を歌い、ヒットさせる。舞台でも、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は好評を博し、1967(昭和42)年から1986(昭和61)年まで公演回数900回を数えた。
1991(平成3)年、俳優としては初めて文化勲章を受賞。シリアスな役からコメディ物まで幅広い役柄を演じた。

伏見信子 (1915-)

1926(大正15)年、姉の伏見直江とともに子役で映画デビュー。
1933(昭和8)年には、松竹映画「十九の春」「出来ごころ」に主演、人気女優となる。1936(昭和11)年には新興映画「初恋日記」で松平晃と共演し、松平とのデュエットで吹き込んだ映画主題歌「花言葉の唄」も大ヒット。後に二人は結婚するが、数ヶ月で離婚。

高峰三枝子 (1918-1990)

1936(昭和11)年、松竹大船撮影所へ入社、「母を尋ねて」で映画デビュー。続いて島津保次郎監督の「朱と緑」「婚約三羽烏」「浅草の灯」に主演。
「浅草の灯」では歌劇「ボッカチオ」の一節を歌い、その歌唱力を認められて、1938(昭和13)年にコロムビアを専属契約を結ぶ。
1939(昭和14)年、霧島昇とのデュエットによる「純情二重奏」がヒット。女優ならではのしっとりとした歌唱で、1940(昭和15)年にはソロで「湖畔の宿」を大ヒットさせ、歌う映画女優の地位を確固たるものとする。1942(昭和17)年には「南の花嫁さん」、戦後も「思い出のボレロ」「情熱のルンバ」などをヒットさせる。
歌手、女優の他にテレビの司会もやるなど幅広く活躍した。

轟夕起子 (1917-1967)

1932(昭和7)年、宝塚少女歌劇団に入る。1937(昭和12)年、日活に入社、「宮本武蔵」のお通役でデビュー。続いて出演した「美しき鷹」で、その健康的な美貌で注目を集める。
1942(昭和17)年に東宝に移籍し、翌年「ハナ子さん」に主演、主題歌「お使いは自転車に乗って」を歌い、ヒットさせる。女優としては「暢気眼鏡」「山鳩の声」「毒薬と令嬢」などが代表作。

高峰秀子 (1924-2010)

1929(昭和4)年、松竹蒲田に入社。野村芳亭監督の「母」で映画初出演。
その後も子役として数多くの映画に出演し、天才子役と呼ばれる。1941(昭和16)年の東宝映画「馬」では農家の娘役を好演。
1942(昭和17)年には、歌手としてポリドールから「森の水車」を発売。戦後は新東宝に移籍。1949(昭和24)年の「銀座カンカン娘」では同名の主題歌を歌い、大ヒット。その後も、1954(昭和29)年「二十四の瞳」、1957(昭和32)年「喜びも悲しみも幾歳月」などの名作に出演。女優業の他、「わたしの渡世日記」「おいしい人間」など著書も多い。

鶴田浩二 (1924-1987)

関西大学在学中の1944(昭和19)年、海軍航空隊に入る。復員後、高田浩吉一座に入る。
1948(昭和23)年の「遊侠の群れ」で映画デビュー、一躍スターダムに駆け上がる。二枚目スターとして数多くの映画に出演する一方、「雲流るる果てに」「月の果て」など戦争映画にも出演。1960(昭和35)年には東映に移籍し、仁侠映画に主演。
「人生劇場・飛車角」「緋牡丹博徒・一宿一飯」などのヒット作がある。
歌手としても、1953(昭和28)年「街のサンドイッチマン」、1955(昭和30)年「赤と黒のブルース」、1958(昭和33)年「東京詩集」、1970(昭和45)年「傷だらけの人生」などの吉田メロディーを独特の節回しで歌い、ヒットさせる。
難聴のため左耳に左手を沿えて歌う独特の歌唱スタイルであった。

石原裕次郎 (1934-1989)

兄・石原慎太郎の小説「太陽の季節」が映画化されることになり、スタジオに遊びに行ったところ、日活のプロデューサーをしていた水の江瀧子にスカウトされ、1956(昭和31)年「太陽の季節」に出演。同年、北原三枝と共演した「狂った果実」で爆発的な人気を得る。
その後も「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」などに主演、戦後を代表するスターとなる。
歌手としても、1961(昭和36)年「銀座の恋の物語」1962(昭和37)年「赤いハンカチ」1965(昭和40)年「二人の世界」、1967(昭和42)年「夜霧よ今夜も有難う」など数多くのヒットがある。
石原プロを設立し、テレビでもドラマ「太陽にほえろ」などの刑事物をヒットさせる。

@伊藤家の書斎

 




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