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昭和40年代

昭和40年代-坂本九

画像出典:Wikimedia Commons

1953(昭和28)年にはテレビ放送が始まり、昭和30年代中頃になると一般家庭にもテレビがかなり普及し、歌謡界もテレビ時代に突入する。
聴衆が歌手に求めるものが「歌声」「歌唱力」という聴覚的なものから「容姿」「衣装」などの視覚的なものへと変化していった。その結果、声の魅力や歌唱力のない歌手が激増した。
1965(昭和40)年頃から、歌謡曲は演歌とポップスという分類がなされるようになる。さらには、フォークやロックなど新しい音楽が流行すると同時に、時代背景が反映されたいわゆる「流行歌」が少なくなっていく。
「歌は世につれ、世は歌につれ」とは言えない時代の始まりである。

橋幸夫 (1943-)

遠藤実の歌謡学院で歌を学ぶ。作曲家吉田正に師事し、1960(昭和35)年、「潮来笠」でデビュー。その年の日本レコード大賞新人賞を獲得。
1962(昭和37)年には「江梨子」、そして吉永小百合とのデュエットで歌った「いつでも夢を」が大ヒット。
甘いマスク、鼻にかかった歌声と軽い歌い回しで人気を得る。他に「あの娘と僕」「雨の中の二人」「霧氷」などのヒットがある。

坂本九 (1941-1985)

バンドボーイから歌手にスカウトされ、1960(昭和35)年、東芝レコードから「ステキなタイミング」でデビュー。
1961(昭和36)年、永六輔(作詞)、中村八大(作曲)との『六八九トリオ』で出した「上を向いて歩こう」が大ヒット。アメリカでも「スキヤキ」の題名で売り出され、1963(昭和38)年にはビルボード誌のヒットチャートに3周連続1位となる。
1963(昭和38)年「見上げてごらん夜の星を」、1964(昭和39)年「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」など家族で歌えるような明るい曲を歌い、お茶の間の人気者となる。
1985(昭和60)年、日航ジャンボ機墜落事故に巻き込まれ死亡。

松島アキラ (1944-)

高校時代にロックバンド・ウェスタンキャラバンのボーカルとして、ジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされる。
1961(昭和36)年、ビクターから「湖愁」でデビュー。『スピッツ』の愛称で女性ファンの人気を集めた。
1988(昭和63)年にはアキラバンドを結成し、近年はライブハウスなどでアメリカンポップスを歌い、活動中。

渡辺マリ (1942-)

のど自慢に出ていたところをスカウトされ、東京キューバンボーイズの専属歌手となる。
1961(昭和36)年、パンチの効いた歌声で歌った「東京ドドンパ娘」が大ヒット。以後はあまりヒット曲に恵まれず「黒い蝶のブルース」を最後に引退。
福岡でレストラン、クラブを経営、1985(昭和60)年には六本木に「渡辺マリの店」をオープンした。

北原謙二 (1940-2005)

大阪のジャズ喫茶で歌っていたが、鈴木英治とブルーカーボーイズのメンバーとして上京。
コロムビアのディレクターにスカウトされ、1961(昭和36)年「日暮れの小径」でデビュー。
1962(昭和37)年「若いふたり」の大ヒットで若い女性の人気を集め、以後「若い明日」「若い太陽」の若いシリーズがヒット。他に「ふるさとのはなしをしよう」などのヒットがある。
脳梗塞に倒れ半身不随となるが、懸命のリハビリで芸能活動を再開。

北島三郎 (1936-)

北海道から上京し、東京声楽専門学校でクラシックを学びながら、夜はギターの流しをして生計を立てる。
コロンビアにスカウトされ、1962(昭和37)年、「ブンガチャ節」でデビュー。続く「なみだ船」が大ヒット。
クラウンレコードに移籍後、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」と次々ヒットを飛ばし、スター歌手の仲間入り。
親しみやすいキャラクターと伸びのある歌声で、1975(昭和50)年「歩」、1978(昭和53)年「与作」、1986(昭和61)年「北の漁場」などをヒットさせ、現在も演歌界のトップに君臨している。

舟木一夫 (1944-)

高校在学中から、作曲家遠藤実に学び、1963(昭和38)年、「高校三年生」でデビューし、これが爆発的なヒットとなる。
「学園広場」「修学旅行」「仲間たち」と一連の学園ものを次々とヒットさせ、若い女性のアイドル的存在となる。1966(昭和41)年には「絶唱」をヒットさせ、歌手としての実力を見せるが、その後、しばらく低迷する。
二度の自殺未遂事件から復活し、現在はデビュー当時と変わらぬ若々しさで歌い続けている。

井沢八郎 (1937-2007)

1963(昭和38)年、東芝レコードから「男船」でデビュー。
1964(昭和39)年、夢を求めて上京し、働く若者の気持ちを歌った「ああ上野駅」が大ヒット。
張りのある歌声で人気を得る。女優・工藤夕貴は娘である。

新川二郎しんかわ じろう (1939-)

金沢市のヘルスセンターで歌っているところを村田英雄にスカウトされ、1962(昭和37)年、キングレコードからデビュー。
哀愁を漂わせる独特の節回しで、1964(昭和39)年、「東京の灯よいつまでも」がミリオンヒットとなる。

三田明 (1947-)

1963(昭和38)年、ビクターから「美しい十代」でデビュー、大ヒットとなる。
同年「みんな名もなく貧しいけれど」、1964(昭和39)年「若い港」と続けてヒットを出す。
写真家・秋山庄太郎に『日本一の美少年』と言わしめた恵まれたルックスで人気となり、アイドル的存在となる。

バーブ佐竹 (1935-2003)

新宿や池袋のバーで歌っていたが、1964(昭和39)年、キングレコードからデビュー。
「女心の唄」が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得。温かみのある低音と語りかけるような歌唱法で人気を得る。1966(昭和41)年には「ネオン川」をヒットさせる。

大下八郎 (1942-)

のど自慢番組の常連となっているところをスカウトされ、コロムビアからデビュー。
作曲家・船村徹のもとで歌を学ぶ。芸名の大下八郎は船村に怒られてもケロリとしているので「大した野郎だ」と言われていたことから付けられた。甘い歌声と丁寧な歌い方で、1964(昭和39)年「おんなの宿」が大ヒット。

竹越ひろ子たけこし ひろこ (1938-)

中学時代からクラブでジャズを歌っているところを、力道山にスカウトされ上京し、赤坂のクラブ・リキや米軍キャンプなどで歌う。
1965(昭和40)年、キングレコードから出した「東京流れもの」が大ヒット。豊かな声量とパンチの効いた歌唱が特徴的。

西郷輝彦 (1947-)

1964(昭和39)年、クラウンレコードから「君だけを」でデビュー。
1965(昭和40)年「星娘」、1966(昭和41)年「星のフラメンコ」、1967(昭和42)年「願い星叶い星」とヒットを飛ばし、橋幸夫、舟木一夫と共に『御三家』と呼ばれる。その後は、俳優として活躍。

笹みどり (1947-)

1965(昭和40)年、テレビドラマ「女の舞台」の主題歌を歌い、歌手デビュー。同年、「下町育ち」が大ヒット。
独特のバイブレーションを効かせた歌い回しで、その後もテレビドラマの主題歌を多く歌い、活躍する。1976(昭和51)年、クモ膜下出血で倒れるが、2度にわたる大手術のすえ、奇跡的にカムバック。

@伊藤家の書斎

 




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