1963年に高校生たちで結成。1966年中に解散。
「ジャニーズ」のバックバンドとして活動した、最初期のジャニーズJr.。
[メンバー]
- 嶺のぼる
1947年7月26日生まれ(75歳)、神奈川県相模原市出身。東京都三鷹市井の頭育ち。ギター。嶺はバンドの中心人物だったため、「嶺のぼるとジャニーズ・ジュニア」名義になった時期もあった。後の若杉一夫、関山和雄。 - 田中清司
1948年1月1日生まれ(75歳)、東京都杉並区荻窪出身。ドラム。解散後は「田中きよし」名義で渡辺プロダクションに所属し、数々のバンド活動を経た後、スタジオ・ミュージシャンに転向。 - 西原高泰
後に「アニメーション」に参加。 - 井上肇
- 清瀬ジュン
- 穂口雄右
1948年1月24日生まれ(75歳)、東京都杉並区出身。オルガン。後に作曲家・編曲家。妻は歌手・神田広美。後に渡辺プロダクションに所属し、GSバンド「アウト・キャスト」、「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」を経て、編曲家・作曲家に転向。
[サポートメンバー]
- 松下公次(後の北公次[フォーリーブス]。二代目タンバリン[初代タンバリは名前不明])
メンバーの内、嶺のぼるだけは既にジャズ喫茶でプロ活動の経験があり、その際に知り合ったジャニー喜多川(2019年に死去)に、「こういうバンドがあるんですけど」と自分のバンドを売り込んだところ、ジャニーがバンドの音を聴きに来ることになった。
当時、ジャニーズは「スマイリー小原とスカイライナーズ」などのフルバンドや、「ブルー・コメッツ」をバックに歌っていたが、ジャニーとしては「同世代のバンドでやりたい」という思いがあったため、「じゃあうちでやらない?」と言われてジャニーズのバックバンドとして採用され、「ジャニーズ・ジュニア」のバンド名を与えられた。
以降は、高校に通いながら、放課後にテレビ番組『ジャニーズ・ナイン・ショウ』&『ジャニーズ・セブン・ショウ』(日本テレビ)などテレビの歌番組への出演、日劇ウエスタン・カーニバルへの参加、ジャズ喫茶などでもライブ活動を行った。石原裕次郎、浅丘ルリ子主演、ジャニーズや北公次が出演した青春アクション日活映画『青春大統領』(1966年4月27日公開)にも、ライブ演奏のシーンで5名のメンバーがジャニーズと共に出演した。
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