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御三家・三人娘「3ビート」

御三家・三人娘「3ビート」
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『飯田久彦』『高松秀晴』『柚木公一』。

一部のマスコミではロカビリー・ブームの衰退が報道されていたが、11回目を迎えた「日劇ウエスタン・カーニバル」(1960/昭和35)年は活況を呈し、「ロカビリー三人男」「三人ひろし」に続き、新鋭の三人がスリー・ビートとしてデビューした。

飯田久彦

飯田久彦は1961年に「悲しき街角」でデビューし、続く「花咲く街角」で街角男の異名をとり、「ルイジアナ・ママ」のヒット曲で知られている。のちに日本ビクターのディレクターに転向し、岩崎宏美、ピンク・レディーなどを担当。

また、小泉今日子、SMAP、河村隆一等のプロデュースも担当。1999年株式会社テイチクエンタテインメント社長、その後会長に就任。現在はエイベックス・エンタテインメント取締役。

高松秀晴

1960年5月に第一プロダクション主催の新人ロック歌手コンテストに入賞し、1961年に桜井輝夫とドリフターズに抜擢され、1961年から1963年頃まで木の実ナナと共にドリフターズの専属シンガーとして活躍。
高校3年生の時、フジテレビ系音楽番組「ザ・ヒットパレード」のオーディションで合格し日劇ウエスタンカーニバルの出場が決定したが、高校から出場許可が得られなかったため出場をキャンセルした。

柚木公一

1958年4月「岡田朝光とザ・キャラバン」リード歌手の柚木公一としてデビュー。
1960年には第11回「日劇ウエスタンカーニバル」に出演。その後、藤本卓也名義で作曲家に転向。矢吹健「あなたのブルース」、内山田洋とクール・ファイブ「愛の旅路を」、五木ひろし「待っている女」などのヒット曲がある。




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