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御三家・三人娘「ナベプロ三人娘」

御三家・三人娘「ナベプロ三人娘」

『伊東ゆかり』『中尾ミエ』『園まり』。

ツイスト・ブームの渦中にデビューし、ツイスト娘といわれたボーイッシュな中尾ミエ、小学5年でデビューし天才少女と脚光を浴びた伊東ゆかり、エレガントなムードを漂わせたチャールストン娘の園まりという、初代三人娘同様にそれぞれの相違するキャラクターを持ちあわせた彼女たちはザ・ピーナッツに続けと、同じ渡辺プロ所属のトリオとして活躍した。

1962(昭和37)年放送開始のフジテレビ『スパーク・ショー』や『レッツ・ゴー三人娘』をはじめ、1963(昭和38)年上映の東宝『ハイハイ3人娘』で競演。
当初は、中尾ミエ、伊東ゆかり、沢リリ子が三人娘として売り出されたが、事務所が違ったため園まりに代わった。『スパーク・ショー』で「3人娘」としてトリオを組んだことから、スパーク3人娘ともいう。

伊東ゆかりは、バンドマンだった父親からジャズを学び、7歳から進駐軍キャンプで歌い始め、文化放送「夢のステージ」出演をきっかけに、1958(昭和33)年6月に11歳でキングレコードから『クワイ河マーチ/かたみの十字架』でレコードデビュー。その後、学業優先のためタレント活動を休止するが、1967(昭和42)年に日本レコード大賞歌唱賞を受賞した『小指の思い出』がミリオンヒットを記録。現在もミュージカルやテレビで活躍中。中尾ミエとのコンサートも話題になった。

中尾ミエは、学校の友達が内緒で応募した文化放送「QRスカウト・ショウ」出場が契機となり、渡辺プロに所属。1962(昭和37)年4月ビクターより『可愛いベイビー/カモナ・ダンス』でレコードデビューを果たし、その大ヒットで一躍スターの座に就き、三人娘の中心的役割を担う。女優に憧れていた彼女は、歌手活動と平行して、デビュー当時から『夢で逢いましょ』『ハイハイ三人娘』などの映画に主演し、その後はトーク番組やバラエティーなどで活躍中。

園まりは、1962年5月ポリドールより『ベルリンの街角で/鍛冶屋のルンバ』でレコードデビュー。レコード業界による様々なニューリズムの開拓の中、ツイストダンスの一種でジャガイモを潰すときの動きに似たステップのマッシュ・ポテトを採り入れた『マッシュ・ポテト・タイム』で脚光を浴びる。1966年から68年にかけて『逢いたくて逢いたくて』『夢は夜ひらく』『愛は惜しみなく』などが大ヒット。ミリオンセラーが続出し、園まりのムード歌謡路線を確立する。

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