田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3名に対する総称で、1980年代前半に活躍した。正式なユニットではない。公式ファンネームは「たのきん族」。
グループ名変遷:たのしいトリオ→金八トリオ→悪ガキトリオ→たのきんトリオ。
[メンバー]
- た – 田原俊彦(愛称:トシちゃん、イメージカラー:赤)
- の – 野村義男(愛称:ヨッちゃん、イメージカラー:青)
- きん – 近藤真彦(愛称:マッチ、イメージカラー:黄)
1979年10月26日放送開始のTBSドラマ『3年B組金八先生』の生徒役で3名揃ってドラマデビュー。「金八トリオ」の俗称で呼ばれるようになる。
翌1980年4月1日、当時ジャニーズ事務所が2Fにあった六本木のフォンティーヌ・ビルの地下の劇場「アトリエ・フォンテーヌ」にて、3人の初イベント『金八トリオ・ファンの集い』を開催する予定だったが、会場から六本木の駅までファンで埋め尽くされるほどの、予想をはるかに上回るファンが来場したため、パトカーが何台も出動し、公演は中止となった。
続いて、フジテレビのドラマ『ただいま放課後』の撮影がスタート。このドラマの中で、「悪ガキトリオ」というグループ名を命名される。
人気はますます過熱していき、放映回数も当初の予定より延長。雑誌『週刊セブンティーン』(集英社)にも毎週登場するようになる。
1980年5月5日、虎ノ門の久保講堂にて改めてファンの集いを開催。1日5回公演で1万5000人を集客した。
3人に対する正式な愛称を決めるため、公募を行ったところ、約2万8000通のハガキが寄せられた。しかし、ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川は全ての案を却下し、自ら考案したネーミングを採用。同年5月11日、神奈川県厚木市の東京工芸大学・厚木キャンパスのグラウンドにて行われた、テレビドラマ『ただいま放課後』の公開ロケイベント「放課後青空カーニバル」にて、3人に対する愛称「たのきん」と、3人のファンに対する愛称「たのきん族」が、約1万2000人のファンの前で発表された。(発表時は、あくまで公募の中から選んだとし、ジャニーが考案したことは伏せられた)
ネーミングの由来は、3人の苗字の頭文字「田」、「野」、「近」をつなぎ合わせたもので、近藤の「近」を「こん」ではなく「きん」と読ませたのは、パラキン(ダニー飯田とパラダイス・キング)、殿キン(殿さまキングス)、クリキン(クリスタルキング)などをもじったためであった。
当初ジャニー喜多川の中では、近藤真彦ではなく、金八先生のエキストラ出演者で田原俊彦とも親しかった児童劇団所属の椎野孝之を入れ、3人の苗字の頭文字「田・野・椎」を取って『たのしいトリオ』にするという案があった。 「たのきん」という珍妙なネーミングが生まれたのは、先にこの「たのしい」の構想があったからだとされている。(出典:『二丁目のジャニーズ 最終戦争篇』原吾一 著、1996年7月、鹿砦社刊)
雑誌『週刊セブンティーン』では、他誌との差別化を図るために、“たのきん”の文字は使わず、最後まで「悪ガキトリオ」の呼称を通し続けた。
1980年7月27日、日比谷野外音楽堂にて1stコンサート「YOUNG COMMUNICATION ’80 SUMMER 若衆魂」(通称:ヤンコン)を開催。4日も前から徹夜組が出るほどの大盛況だった。
1980年10月9日、たのきんトリオ主演のバラエティ番組『たのきん全力投球!』(TBS系列)が開始。
1981年に「たのきん3球コンサート」を開催し、第2回目(1983年8月28日)の同コンサートの大阪球場公演をもって解散。
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