まえだこうよう。1968年8月16日生まれ(54歳)、東京都世田谷区出身、八王子市育ち。
元「男闘呼組」のメンバー。妻は漫才コンビ「海原やすよ・ともこ」の海原ともこ。
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幼稚園から小学校3年までピアノを習っていた。
子供の頃は、毎年夏休みを父親の郷里(鹿児島県薩摩川内市)で過ごした。
1984年12月、高校1年の時にジャニーズ事務所に入所。
きっかけは、中学時代の同級生の女子が、中学の卒業アルバムを使い、同級生の男子全員の写真と、住所や電話番号のデータをジャニーズ事務所に送った所、前田だけがジャニー喜多川から電話を貰い、「ジャニーだけど、トシちゃん(田原俊彦)のコンサートをやるから新宿まで来なさい」と招かれた。
東京厚生年金会館でコンサートを観た後に、「今度バンドグループを作ろうと思うんだけど、君やる気ない?」と誘われ、ジャニーズ事務所に入所した。オーディション無しで合格した特待生。(「中学3年で入所した」という文献は誤り)
ジャニーズ事務所に入所した翌日に早くもドラマのオーディションに行かされ、見事に合格。翌週から撮影に入った。そのドラマは、深夜ドラマの草分け的作品『Triangle Blue』シリーズで、とんねるず、可愛かずみ、川上麻衣子らと共演し、好評を得た。(Triangle Blue (1985年5月7日 – 1986年2月25日、テレビ朝日)コー役)
『POTATO』(1986年5月号、学研)にて、初めて雑誌の単独表紙を飾る。
1988年8月24日、ロックバンド「男闘呼組」のメンバーとしてレコードデビュー。前田はグループのリーダーも担当(ただし、ジャンケンで負けたために無理矢理やらされたリーダー)。
また、バンドではキーボードを担当していたが、1988年2月公開の映画『ロックよ、静かに流れよ』の中ではドラムを担当した。本人の後日談によれば、「男闘呼組では他のメンバーと違って実際に楽器を演奏していなかったので、映画の設定上でも、どの楽器を任されても別に支障は無かった」とのこと。(なお、男闘呼組の結成当初は、キーボードではなくシンセドラム〔パーカッション〕の担当だった時期もある)。
ちなみに男闘呼組の後期には、「ちゃんと自分で演奏していた」とのこと。男闘呼組の解散後はアコースティックギターも演奏するようになった。
車好きが高じてカーレーサーを目指し、実際にライセンスも取得。
しかし、先輩の近藤真彦から、「お前までレーサーなんてとんでもない!同じ事務所から2人も要らない!」と怒られてしまい、なくなくレーサーの道を断念した。
1994年にジャニーズ事務所を退所。
1998年11月、元アイドルの中村由真と結婚。
2003年2月、中村由真と離婚。2人の間に子供は居ない。中村とは数年来の親友関係を経てゴールインしたが、結婚後に不和となり、喧嘩が絶えなかったことを後日告白している。
2006年には、『なるトモ!』(読売テレビ)にレギュラー出演。そのため、週に1回は必ず大阪へ出向いていた。その際、収録を終える度に京橋駅周辺のパチンコ店に通い、パチスロに嵌っていった。その流れもあり、サンテレビの深夜のパチスロ対決番組など、関西ローカルの番組にもよく出演するようになった。
2006年8月、漫才コンビ「海原やすよ・ともこ」の海原ともこと、授かり再婚。翌2007年4月12日に、第一子の女児・歌星が誕生した。
海原ともこのレギュラー番組『なるトモ!』の出演が交際のきっかけとなり、「大阪大好き、大阪に住みたい」と公言してきたことから、大阪市で婚姻届を出し、新居を構えることとなった。
海原ともこもバツイチであるため、2人とも再婚に当たる。また、義弟(海原ともこの実妹で相方の海原やすよの夫)は、オリックス・バファローズの元投手・宮本大輔である。
前田が再婚する直前、前妻の中村由真も在米の弁護士と、同じく授かり再婚をしている。
2009年、3人組の演劇ユニット「TEAM 54 PRODUCE」を結成。
2010年2月5日より、アメーバブログを開始。
2011年より「カートプロモーション」に所属したのを機に、同社の関連会社であるタレント養成所「エーチームアカデミー」にて演技講師も務める。
2013年11月13日、海原ともことの間に、第二子となる男児・將月が誕生。
2021年2月1日、兵庫県神戸市の住宅メーカー「神戸カーペンターズ」のイメージキャラクターに就任。
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