[デビュー] 1969年末
[デビュー曲] さよならの祈り(1970.10.10)
略称:ジューク、J・B。1969年末結成。1974年消滅。
「ジューク・ボックス」の名前は元々、1969年初頭頃からジャニーズJr.全体に対する別称として使われていたが、同年末に選抜メンバーによって正式にグループ化された。
メンバーの脱退・加入が非常に激しく、メンバー構成は実に12期に分かれる。
弟分ユニットは「ジューク・ボックス・ジュニア」(正確にはユニットではなく、やはり当時のジャニーズJr.全体を指す別称)。
[第1期メンバー(1969年末~)]
- 円谷弘之
1952年5月11日生まれ(73歳)、神奈川県横須賀市出身。1期~7期。愛称:ヒロ、ヒロくん。「本多貴之」「本田貴之」に改名。リードボーカル。坂口良子4thシングル「青い山脈」でデュエット。 - 小谷典由
1954年10月8日生まれ(70歳)、東京都練馬区出身。1期~12期。愛称:ピピ(雑誌一般公募)。「小谷純」に改名。 - 近藤昌
1956年2月14日生まれ(69歳)、東京都出身。1期~4期。愛称:マチャル。「劇団若草」の子役。ファッション・ディレクター。「FiANCHi」に参加。 - 岡典雄
1952年11月28日生まれ(72歳)、福島県福島市庄野出身、東京都大田区育ち。1期と6期。愛称:ノンノ。「岡のりお」に改名。 - 村田勝美
1955年7月19日生まれ(70歳)、京都府出身、滋賀県大津市育ち。1期~2期。愛称:カッちゃん。 - やなせかおる
1952年9月20日生まれ(72歳)。1期と5期。本名:柳瀬薫。愛称:カオル。
[第2期メンバー(1970年春)]
- 円谷、小谷、近藤、村田、行田和彦(2期~3期)、星野武重(2期)
[第3期メンバー(1970年夏前)]
- 円谷、小谷、近藤、行田、吉本暁弘(1955年1月22日生まれ(70歳)、東京都杉並区下高井戸出身。3期~8期。1980年に「チコとヒューマンカンパニー」結成。「吉本あき弘」改名)
[第4期メンバー(1970年夏)]
- 円谷、小谷、近藤、吉本
[第5期メンバー(1970年10月のレコードデビュー時)]
- 円谷、小谷、やなせ、吉本
[第6期メンバー(1971年春~)]
- 円谷、小谷、吉本、岡
[第7期メンバー(1972年1月~)]
- 円谷、小谷、吉本、風間忠芳(7期~12期。愛称:ターちゃん)
[第8期メンバー(1972年5月~)]
- 小谷、吉本、風間
[第9期メンバー(1972年12月)]
[第10期メンバー(1973年1月~3月)]
- 小谷、風間、浅井
[第11期メンバー(1973年4月)]
[第12期メンバー(1973年~1974年)]
- 小谷、風間
1969年初頭頃から「ジャニーズJr.」の呼称が一時消滅していた時期があり、その間のJr.は「ジューク・ボックス」と呼ばれていた。
ジャニー喜多川は、名前のイニシャルがAからZまで揃った26人のジャニーズJr.を集め、ミュージカルを上演できるグループ構想を1968年後半頃から練っていた。そこで、AからZまでのアーティストリストからコインを入れて好きな曲目を選べる「ジュークボックス」になぞらえ、フォーリーブスのバックで踊っていたジャニーズJr.のことを、1969年初頭頃から「ジューク・ボックス」のグループ名で呼ぶようになった(つまりジャニーズJr.全体の別称)。
しかし、実際にはアルファベット全26文字に見合う名前のメンバーを揃えることは難しく、1969年後半にファンに対して行われたJr.の人気投票で上位6名を選抜し、同じ「ジューク・ボックス」名義で正式にグループ化。
第1期メンバーの6名で、1969年12月にフォーリーブス主演のミュージカルイベント『レッツ・ゴー フォーリーブス』(第2幕「オオ・マイ・ママ」)に出演。その後、ジャニーの考えでメンバーを大幅に入れ替え、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』へのレギュラー出演も開始し、フォーリーブスのバックを務めた。
更にメンバーの入れ替えを経て4名となり、1970年10月、第5期メンバーでキャニオンレコード第1号歌手としてレコードデビュー。脱退やメンバーチェンジを繰り返し、メンバー構成は12期に渡り、1974年に解散。
ジューク・ボックスがグループ化されて以降、残りのJr.は「ジューク・ボックス・ジュニア」と呼ばれた。
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