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V6

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分類歴代グループ

デビュー:1995.08
デビュー曲:MUSIC FOR THE PEOPLE(1995.11.01)

ブイシックス。1995年8月結成。
光GENJI SUPER 5が解散した翌日の1995年9月4日にデビュー会見。同年11月1日にCDデビュー。
略称:ブイ、ぶいろく。結成当初の旧表記:Vsix → V-6。中国語表記:勝利六人組。前身ユニット:ジャニーズSr.(第2期)。6人のグループLINEの名前は、三宅が考案した「ぶい」。

[メンバー]
20th Century(トゥエンティース・センチュリー。略称:トニセン。旧俗称:アダルトチーム

  • 坂本昌行さかもとまさゆき
    1971年7月24日生まれ(51歳)、東京都出身。V6のリーダー、20th Centuryのリーダー。別名義:Marsa Sakamotoマーサ・サカモト。愛称:まぁくん、まささん、坂本くん、リーダー。メンバーカラー:青。妻は元宝塚歌劇団雪組トップスターの朝海ひかる。
  • 長野博ながのひろし
    1972年10月9日生まれ(50歳)、神奈川県大和市出身。愛称:長野くん、博、仏、ロイヤル博、なーのくん。メンバーカラー:紫。妻は女優の白石美帆。
  • 井ノ原快彦いのはらよしひこ
    1976年5月17日生まれ(46歳)、東京都台東区浅草出身、品川区八潮育ち。愛称:イノッチ、よしくん、よっちゃん。メンバーカラー:緑。妻は女優の瀬戸朝香。ジャニーズアイランド代表取締役。

Coming Century(略称:カミセン。旧俗称:ヤングチーム

  • 森田剛もりたごう
    1979年2月20日生まれ(44歳)、埼玉県春日部市出身。愛称:剛くん、ごぉつん。メンバーカラー:赤。妻は女優の宮沢りえ。旧本名:伊藤剛。韓国人とのクォーター(母方の祖父が韓国人)。元「放映新社」の子役。子役時代に「第一ゼミナール」のCMに出演。V6解散時の2021年11月1日にジャニーズ事務所退所。
  • 三宅健みやけけん
    1979年7月2日生まれ(43歳)、神奈川県出身。愛称:健(くん、ちゃん)。メンバーカラー:オレンジ。1993年5月4日に入所。兄弟は二卵性の双子の姉が1人と、1歳下に弟が1人。弟は元ジャニーズJr.の三宅秀明。
  • 岡田准一おかだじゅんいち
    1980年11月18日生まれ(42歳)、大阪府枚方市出身。愛称:岡田くん、准くん、師範。異名:日本のトム・クルーズ。メンバーカラー:黄。妻は女優の宮﨑あおい。

[脱退メンバー]

  • 原知宏はらともひろ
    1979年1月20日生まれ(44歳)、千葉県東葛飾郡沼南町(現・柏市)出身。V6の結成メンバー。Musical Academy参加。2001年2月にジャニーズ事務所退所。2002年12月、『Sunny After Rain ~雨のち晴れ~』でメジャーCDデビュー。妻は元女優・タレントの福井未菜。

[候補メンバー]

  • 佐野瑞樹、喜多見英明、国分博、木村伸一、大野智(『Theme of Coming Century』の仮歌、および正式レコーディングに参加)

[関連ソロ・ユニット]

年長組の坂本、長野、井ノ原「20th Century、トニセン」と年少組の森田、三宅、岡田「Coming Century、カミセン」で構成。
1995年8月、雑誌「Myojo」10月号で、日本バレーボールプロ化のVリーグに乗じて、同年秋フジテレビ主催で行われる「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターとして、新しいグループが作られることが発表。
当初のグループ名表記は「Vsix」→「V-6」で、候補段階では、NHK-BS2「アイドルオンステージ」で活躍していた「ジャニーズSr.(第2期)」の坂本、井ノ原、原、長野、佐野瑞樹、喜多見英明がメンバーの6名だった。結成のきっかけがバレーボールだったので、 “V”は “Victory” “volleyball”などの意味を持つ。

翌9月発売の「Myojo」11月号で、「V6」のデビューが大々的に掲載され、この時点でメンバーは坂本・長野・井ノ原・森田・三宅・岡田の6名に決まり、9月4日に六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でデビュー記者発表が行われた。

1995年11月1日に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー。
イメージキャラクターを務めた『バレーボールワールドカップ』の大会中継や、V6主演のタイアップドラマ『Vの炎』に出演。翌年1996年からは『春の高校バレー』のイメージキャラクターを務めた。

1996年12月31日、前年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の復興チャリティイベント『V6 COUNT DOWN ’97』を神戸ワールド記念ホールにて開催し、収益金を神戸市教育委員会に寄付。

1997年10月16日、レギュラー出演したTBS系バラエティ番組『学校へ行こう!』放送開始。後続番組の『学校へ行こう!MAX』が終了する2008年9月まで11年間にわたり放送される。

1997年12月1日に、阪神・淡路大震災へのチャリティー活動として、1997年までにデビューしており、メンバーに関西出身者のいるTOKIO・V6、KinKi KidsJ-FRIENDSを結成。震災発生当時の小学校1年生(1987年4月2日生まれから1988年4月1日生まれ)が義務教育を終える2003年3月までの期間を活動した。

1998年、『24時間テレビ21』で森田がチャリティーマラソンランナーに選ばれ、100kmを完走。

2014年、『第65回NHK紅白歌合戦』に初出場。

2015年、デビュー20周年を記念して8月30日から全国ツアー『ラブセン presents V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER-』を開催。

2021年3月12日、森田が同年11月1日(V6のデビュー記念日)をもってジャニーズ事務所を退所すること、それと同時に2020年にデビュー25周年を迎えたV6はグループとしての活動に区切りをつけ、解散することが発表された。なお、Coming Centuryはグループの解散と同時に活動終了となり、年上チームの「20th Century」だけはその後も存続し、“V6の内部ユニット”から“単独ユニット”に移行した。

解散に至る経緯は、2019年春頃よりメンバーが2020年のデビュー25周年に向けての話し合いをする中、森田より「ジャニーズ事務所を離れた環境で役者に挑戦したい」との申し出がきっかけとされる。その申し出を聞き、「人生の半分以上一緒にいる仲間の提案を、他の5人は止められない。」、「それをきっかけに5人がV6、そしてそれぞれの将来を考えた時に、”解散”が自分たちの新しい形なんじゃないか」と思い、解散を決意することとなった。

2021年9月4日 – 11月1日、最後の全国ツアー『LIVE TOUR V6 groove』を開催。最終日の11月1日はJohnny’s netオンラインにて生配信され、この日をもって解散した。
同時に森田はジャニーズ事務所を退所し、妻の宮沢りえとともに新会社「MOSS」に移籍。

本来はグループの活動が停滞していた2010年一杯で解散する予定だったが、まだ公式発表をしていない段階で『週刊文春』(同年2月18日号)に解散情報をすっぱ抜かれてしまい、メリー喜多川が、「どうして書いてはいけないことを書くの!文春に書かれた通りにはやらない!」と激怒。『日刊サイゾー』(同年3月12日付、4月19日付)、『東京スポーツ』(同年3月17日付)でも、V6の解散やメリーについての新たな追加記事が次々と出されたが、勝気なメリーの思惑通り、最初の文春のスクープを打ち崩して無効化するべく、解散は急遽中止となった。
その後、10年以上の時を経て、2021年11月1日をもって正式に解散し、26年の歴史に幕を下ろした。




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