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田中清司

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分類歴代ソロ

たなかきよし。1948年1月1日生まれ(77歳)、東京都杉並区荻窪出身。
芸名変遷:田中清司 → 田中きよし → 田中清 → 田中清司

[関連ソロ・ユニット]

[退所後の参加バンド]

中学時代にギターを始めるも、Fのコードが弾けなくて挫折。しかし、中学3年の秋にドラムと出会う。

1963年、高校に入学し、嶺のぼるらとバンドを結成。田中はドラムを担当。メンバーの内、嶺だけは既にジャズ喫茶でプロ活動の経験があり、その際に知り合ったジャニー喜多川に、「こういうバンドがあるんですけど」と自分のバンドを売り込んだところ、ジャニーがバンドの音を聴きに来てくれた。
当時、初代ジャニーズは「スマイリー小原とスカイライナーズ」などのフルバンドや、「ブルー・コメッツ」をバックに歌っていたが、ジャニーとしては「同世代のバンドでやりたい」という思いがあったため、「じゃあうちでやらない?」と言われ、ジャニーズのバックバンドとして採用され、「ジャニーズ・ジュニア」のバンド名を与えられた。
以降は、高校に通いながら、放課後にテレビの歌番組に出たり、ジャズ喫茶などでもライブ活動を行った。

なお、高校の同級生には中野光男(後のせんだみつお)がおり、親しい間柄となった。そして中野光男の中学時代の同級生に穂口雄右がおり、中野を通じて穂口とも親しくなった。そのため、穂口も途中から「ジャニーズ・ジュニア」にオルガンで一時参加した。

1966年に「ジャニーズ・ジュニア」が解散。

1968年4月、松木恒秀らと、5人組のGSバンド「ジュニア・ボーイズ」を結成し、「田中きよし」の芸名で渡辺プロダクションに所属。
同年秋に東芝レコードからシングル『謎の瞳』でレコードデビューすると報じられたが、結局中止となってしまった。(そのため、名曲だとも言われているこの曲のプロモ盤レコードはプレミア化し、ネットオークションでは約10万円もの値が付いたこともある)

1969年、バンド名を「ジュニア・ボーイズ」から「ジ・アルファ」に改名。
更にその後、メンバーを一人追加して「グリーン・グラス」へと改名。1970年にシングル『一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー』でようやく念願のレコードデビューを果たした。

グリーン・グラスでの活動の傍ら、NHK『ステージ101』の専属バックバンド「リズム101」に、松木恒秀や武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)らと共に参加。この時は、「田中清」の名で活動していた。番組の収録以外でも、番組関係のレコーディングやライブがある時にはバックバンドとして参加した。

グリーン・グラス解散後は、1971年に幼馴染み&ジャニーズ時代の盟友・穂口雄右らと「ピープル」名義でシングルを1枚リリース。更に、穂口雄右、松木恒秀、武部秀明らと共に結成した「稲垣次郎とソウル・メディア」や、武部や柳田ヒロらと結成した「サンズ・オブ・サン」でもレコードデビューを飾るなど、数々のバンド活動を経た後、スタジオ・ミュージシャンに転向。

1972年 – 1976年まで、筒美京平の第2期、第3期リズムセクションのメンバーを務める。

1972年には「赤い鳥」のレコーディング(『パーティー』)、RCサクセションのレコーディング(『楽しい夕べに』)、1973年には吉田拓郎のバックバンド(『LIVE ’73』)、頭脳警察のレコーディング(『誕生』、『仮面劇のヒーローを告訴しろ』)に参加。また、「かぐや姫」や「風」のバックも担当した。

1974年6月、沢田研二のバックバンドでもあった「井上尭之バンド」に、原田裕臣の後任として参加。テレビドラマ『寺内貫太郎一家』や『傷だらけの天使』の音楽、また、沢田研二の様々な楽曲のレコーディングに参加した。後に鈴木二郎と交代で脱退。

1975年、水谷公生(元「アウト・キャスト」や「アダムス」の水谷淳)、武部秀明、渋井博と共に、バンド「Dig It」を結成。以後、南こうせつのバックを務めた。こうせつの2ndアルバム『ねがい』の裏ジャケットには、彼ら4人が写った写真が載っている。

1976年、TBSドラマ『いごこち満点』の音楽担当であり作曲家の東海林修の直接指導のもと、バンド「ショウジコーポレーション」名義でレコーディングを行った。

1977年、大野克夫や後藤次利らと共に、庄野真代のアルバム『ぱすてる331/3』や、越路吹雪のアルバム『一寸おたずねします』などに参加。

1978年、坂本龍一、後藤次利、秋山一将ら多数のミュージシャンと共に、NEW YORKをテーマにした企画ものの国産フュージョンアルバム『New York』をリリース。

1980年に「井上尭之バンド」が解散したことで、新しく「大野克夫バンド」が誕生。田中もメンバーとして参加し、テレビドラマ『太陽にほえろ!』などの音楽を担当した。

1980年、萩原健一のツアーにバックバンド「DONJUAN ROCK’N ROLL BAND」として、原田裕臣と共にツインドラムで参加。ツアー最後の「日劇ウエスタンカーニバル」出演(1981年1月)まで行動を共にした。

1985年7月27日に行われた「ONE LAST NIGHT IN つま恋」では、小室等、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利と共に「新六文銭」として出演し、吉田拓郎のバックを務めた。

2004年8月7日に放送されたNHK総合『第36回 思い出のメロディー』に大野克夫バンドとして出演し、『太陽にほえろ!』、『名探偵コナン』、『傷だらけの天使』のテーマ曲をメドレーで演奏した。
バンドメンバーは大野克夫(ハモンドオルガン、ピアノ)、村岡建(サックス)、斎藤ノブ(パーカッション)、土方隆行(ギター)、樋沢達彦(ベース)、原田末秋(ギター)、田中清司(ドラム)。

ジュニア・ボーイズ(後の「ジ・アルファ」)

[メンバー]

  • 田中きよし(ドラム)
  • 松木恒秀(ギター)
  • 清水保男(ボーカル)
  • 伊澤俊司(ギター)
  • 長野由昭(ベースギター)

[シングル]

  • 謎の瞳(「ジュニア・ボーイズ」名義。1968年にリリース予定だったが発売中止。プロモ盤のみが流出)

グリーン・グラス

[メンバー]

  • 田中きよし(ドラム)
  • 松木恒秀(ギター)
  • 清水保男(ボーカル)
  • 伊澤俊司(ギター)
  • 長野由昭(ベースギター)
  • 武田基嗣(後に「青山一也」に改名して俳優に)

[シングル]

  • 一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー (1970年)

ピープル

バンドと言っても、スタジオ・ミュージシャンたちが集ってシングルを一枚レコーディングしただけの活動。

[メンバー]

  • 田中清司 – ドラム/パーカッション
  • 穂口雄右 – オルガン/ピアノ
  • 水谷公生 – ギター/スライド・ギター/アコースティック・ギター/シタール
  • 武部秀明 (元「アダムス」の千原秀明) – ベース
  • ラリー寿永 – パーカッション/鐘 (妻はラテン歌手のミッチー大内、娘はラテン歌手の寿永アリサ)
  • 井上ゴロー – ゲストボイス (「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 杉原マイヤ – ゲストボイス (「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 柴田キョウ – ゲストボイス (「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 戸村アケミ – ゲストボイス (「ブッダ・ミート・ロック」)

[シングル]

  • ブッダ・ミート・ロック (1971年)

田中清司&フレンズ

旧名 「田中清司 with まるきんBAND」。

[歴代メンバー]

  • 田中清司(ドラム)
  • 米川“金太”泰正(ギター)
  • 相原秀章(ギター)
  • 青山直樹(ギター)
  • 川嶋一久(ベース)
  • 河野利昭(サックス)
  • 小川雅博(別名:ばらしいす小川。 ピアノ、オルガン、キーボード)
  • カワサキヒロユキ(セカンドドラム)

[ライブ]

  • 2009年11月30日 – 新宿御苑前・新宿LIVEたかのや
  • 2012年9月6日 – 四谷・SOUND CREEK Doppo
  • 2013年1月15日 – 四谷・SOUND CREEK Doppo
  • 2013年5月29日 – 四谷・SOUND CREEK Doppo
  • 他・・・

ROSE-CULT

2015年春に、半田健人の配信番組『半田倶楽部』(ニコニコ生放送)にて結成されたバンド。

[メンバー]

  • 田中清司(ドラムス)
  • 半田健人(ボーカル、ベース)
  • Jun DogGod(ギター)



歴代ソロ

 

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