「スーパーエイジス」の内部ユニット。
1975年8月27日、4人兄弟の長男と次男の2人によって結成されたバンドグループ。父親がイギリス人、母親が日本人のハーフ。
[メンバー]
- デビッド辻野(兄。愛称:デビー。ギター担当)
1947年9月12日生まれ(77歳)、福岡市出身、東京都港区育ち。
本名:辻野デビッド。英語名:David Clifford Mann。
1966年3月、当時赤坂5丁目にあった私立聖パウロ学園高校を卒業。
15歳より音楽活動を開始。
「スーパーエイジス」への参加と並行して、7歳下の弟と2人で当バンド「デビー&ルーベン」を結成。
その後、同じく弟と共に「クエッション」のメンバーとして1976年3月にレコードデビューする予定だったが、諸事情によりデビューの直前になって兄弟揃って脱退。ジャニーズ事務所からも退所してしまったため、クエッションのレコード発売は中止となった。
ジャニーズ退所後は、バンド「TAO」を結成し、「David Mann」のアーティスト名で活動。1983年に自らが作曲したテレビアニメ『銀河漂流バイファム』の主題歌「Hello, Vifam」は、日本のアニメにおいて初の英語詞による主題歌として人気を博した。
2006年2月には、アメリカのロサンゼルス・サンタモニカでバンド「PinkLips69」を結成し、「翔」のアーティスト名で活動開始。このバンドでは、先のTAO時代の楽曲「Hello, Vifam」をリメイクしたり、長野県の「伊那ケーブルテレビ」にて『TAKE OFF』という番組も持っていた。
- ルーベン辻野(弟。ドラム担当。リューベン辻野)
1955年1月15日生まれ(70歳)、福岡市出身、東京都港区育ち。
本名:辻野ルーベン。英語名:Reuben Clifford Mann。
港区立白金小学校、同区立高松中学校、世田谷区桜上水の日本大学櫻丘高校(郷ひろみの1学年先輩)卒業。
小学生の時にジャズやソウルの評論を書いていたライターの父親に連れられて白木秀雄のジャズライブを観に行き、白木からドラムのスティックを貰う。中学1年生の時に7歳上の兄と共にギターを始めるが、2人ともギターではつまらないということで、ルーベンはすぐにドラムに転向した。
15歳で渡辺プロダクションに所属。16歳の時にディスコでドラムを叩いたのが初収入。20歳でジャニーズ事務所に移籍。「スーパーエイジス」のメンバーだった兄と2人で、当バンド「デビー&ルーベン」を結成。
その後、同じく兄と共に「クエッション」のメンバーとして1976年3月にレコードデビューする予定だったが、諸事情によりデビューの直前になって兄弟揃って脱退。ジャニーズ事務所からも退所してしまったため、クエッションのレコード発売は中止となった。
ジャニーズ退所後は、ミュージシャンのChar(竹中尚人)に弟子入り。「リューベン辻野」名義で、1977年5月から1978年6月25日までCharのバックドラマーを担当した。(ただしレコーディングには不参加)
1978年6月、ホリプロに所属し、同年8月、「リューベン」名義でシングル『薔薇の嵐』でソロレコードデビュー。その直後、元「ハイ・ソサエティー」の杉征夫と共に、ツインドラムの5人組バンド「リューベン&カンパニー」を結成し、続けてレコードを数枚リリースした。
「リューベン&カンパニー」の解散後は、大橋純子のバックバンドを経て、1980年に自らのバンド「フェニックス」を結成。三原順子のデビューシングル『セクシー・ナイト』(1980年9月21日発売)のレコーディングに参加したり、ステージミュージシャンとして、再び大橋純子、宇崎竜童、稲垣潤一、三原順子のバックを務めた。
なお、三原が後にドラムを叩くようになったのは、リューベンに影響されたためであった。
1981年4月21日、ブルースロックバンド「EAST LORD」を結成し、キングレコードより長戸大幸プロデュースのアルバム『NEO BLUES』でレコードデビュー。
1982年、砂野敬三(ギター)、角田俊介(ベース)らと、秋本奈緒美のデビュー時のバックバンドに参加して、全国ツアー、フジテレビの音楽番組『素敵なあなた』、FMなどに出演。
1983年、バンド「NAZCA」を結成。(「辻野リュウベン」名義で参加)
1985年~1986年には、兄のバンド「TAO」にサポートで参加。
1989年、昔からの友人・原田真二のバンド「THE AIR」に参加(原田のバックには2002年や2011年にも付いた)。同じ頃に、森高千里の初期作品のレコーディングにも参加した。
1992年、バンド「Flying Sky」を結成し、翌年にCDデビュー。
2002年、松田聖子のコンサートツアーに同行。この頃から「Reuben Mann」や「マン・リューベン」と名乗るようにもなる。
同年9月、バンド「Club HENDRIXX」を結成。翌年に活動休止。
リューベン&カンパニーのベストCD『Myこれ!Lite リューベン&カンパニー』(2010年5月19日、ポニーキャニオン)が発売されたのを機に、新バンド「リューベン&フレンズ」を結成。2010年8月17日に水道橋のジャズクラブ「東京倶楽部」にてライブを行った。
また、これまでに南こうせつ、宇崎竜童、稲垣潤一、スコット・ヘンダーソンなど、多数のアーティストのバックドラムを務めてきた他、1990年代には渋谷の音楽学校「MI JAPAN」にてドラムの講師を務め、その後、専門学校「日本工学院ミュージックカレッジ」に移り、ミュージックアーティスト科ドラム専攻にてやはりドラムの講師を2010年代まで務めていた。
ドラムセットはずっとPearl社製、香水はアラミスを愛用。
好きなアーティストは、レイ・チャールズ、レッド・ツェッペリン、ステッペン・ウルフ、バディ・リッチ、アラン・ドーソンなど。
2人は元々、「辻野デビット」と「辻野リューベン」の名で渡辺プロダクションに所属しており、伊丹幸雄のバックバンド「フレンズ」(1972年結成。渡辺茂樹がリーダー。同年に「ロックンロールサーカス」に改名)のメンバーとして、1974年まで「日劇ウエスタン・カーニバル」などに出演していた。
リューベンは結成時から参加。 デビットはバンド名の改名後に加入。
その後、バンド「クリスタルボール」にも同じく兄弟で一緒に参加し、ライブ活動を行う。
1975年5月、2人揃ってジャニーズ事務所に移籍し、バンド「スーパーエイジス」に加入。
スーパーエイジスと並行して、「デビー&ルーベン」も結成し、同年8月27日の「第54回 日劇ウエスタン・カーニバル」にてお披露目された。
同年「クエッション」を結成するも、兄弟揃って脱退。
情報提供・コメント