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荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』

荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』
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発売日 1985.11.21
作詞 日本語訳:篠原仁志、A.Kyte, T.Baker
作曲 A.Kyte, T.Baker
編曲 馬飼野康二

祝!安室奈美恵レコ大授賞記念というわけで、ライジングと言えばオギノメちゃんです。世田谷区立烏山中学出身で、同期には隣の千歳中学(我が母校!)出身の渡辺千秋(CMリボンンギャル・TV「スケバン刑事」・「夏にフレッシュ」でお馴染み。今は何処へ…)がいます。

「ダンシング・ヒーロー」は7枚目のシングルで、オギノメちゃん最大のヒット曲です(オリコン最高5位、32.4万枚。)。デビュー以来コンスタントにTOP40には入っていたものの、2年目に「恋してカリビアン」(24位)「心のままに」(16位)とタイアップを利用しながら上向いて大ブレークとなるわけです。

当時の女性アイドルがこの手のバスドラ4拍物をアイドル系がカバーするのは画期的な出来事でした。これを機にS61年(1986)以降ブーレクしきれないアイドルのテコ入れにカバーが使われるようになりましたが、大成功したのは「ヴィーナス」と「愛が止まらない」ぐらいでしょうか。「ダンシング・ヒーロー」における特徴と言えるのはそのサウンドと現実味に乏しい歌詞でしょう。果たして10代の少女がスパンコールのシンデレラボーイに憧れるのでしょうか?

このヒット以降ダンサブルな路線を中心にシングルをリリースしオリコンで1位取ったりしますが、オギノメちゃんをつまらなくしたのは作詞家:売野雅勇のせいだと言えましょう。「湾岸太陽族」は僕の好きな曲の1つですが、「昔は良かったよね~」の世界を歌い始めてだんだん地味~になってしまいました。ちなみに姉妹品に歌手同期デビュー安田成美の「星屑たちのクルージング」(←が姉・1st.アルバム「安田成美」収録)があります。

アルバムやB面(「NHKみんなのうた」)ではありますが小室哲哉と組んだり、「ヴァージ・オブ・ラブ」でアメリカ進出をもくろんだりアムロの10年前を行ってました。オギノメちゃんの反省があるからこそアムロの成功があるのです(?)。

「ねえ」のヒットの後、アルバム「流行歌手」をリリースしましたが(突き抜けぶりが凄い)、僕の中ではそれきり影をひそめてしまいました。アムロなんかより歌も上手だし勿体ないと思うのですが、答えはまだのようです。オギノメちゃんの未来はいかに。(『CD FILE VOL.2』荻野目洋子、他)

追記。
2017年頃からお笑いタレントの平野ノラや大阪府立登美丘高校ダンス部が同曲を使用したことがきっかけとなり、32年後に再ブレイクし、当時と変わらぬダンスを披露。
2017年12月20日、およそ16年振りにシングル「ダンシング・ヒーロー ジ・アーカイブス」をリリース。

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