タカ。1988年4月17日生まれ(37歳)、東京都渋谷区松濤出身。
本名&旧芸名:森内貴寛。「NEWS」のインディーズ時代の元メンバー。ロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリスト。ジャニーズ時代の愛称:もりもり。
母:森昌子、父:森進一。2005年3月から2012年初頭までは、親権を持った母親(本名:森田昌子)の姓である「森田」を名乗り、一時的に「森田貴寛」の名義を通名として使用。
[関連ソロ・ユニット]
演歌歌手の森進一、森昌子夫妻(離婚)の息子であり、三兄弟の長男。
1歳下の次男・森内智寛は、慶應義塾大学を卒業後、2012年4月にテレビ東京に入社。制作局に配属され、アシスタントディレクターとなった。6歳下の三男・森内寛樹は、ジャニーズJr.として活動した後、「Hiro」の名で、ロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカルに。
2001年、中学1年の夏、父親の森進一に連れられて観に行った少年隊のミュージカル『PLAYZONE 2001 EMOTION “新世紀”』に魅了される。そして、「パパ、僕も踊りたい!」と頼んでジャニー喜多川へ紹介してもらい、同年8月よりジャニーズ事務所のレッスンに通い始める。
同年10月19日、テレビ朝日『ミュージックステーション』に電撃初出演し、ジャニーズJr.のメンバーとして、父親の代表曲でもある「襟裳岬」を熱唱した。
2002年6月20日、両親のジョイントコンサートに飛び入りで出演。
2003年9月15日、山下智久、小山慶一郎、錦戸亮、増田貴久、加藤成亮、手越祐也、内博貴、草野博紀との9人組ユニット「NEWS」のメンバーに選出され、インディーズからCDデビュー。
しかし、基本的に森内は歌番組などの主だった仕事以外は参加せず、地方や海外での仕事には学業を理由に一切顔を出さなかった。
NEWSの結成に当たり、両親が大物歌手という話題性の大きな森内が参加するとなると、グループの中心的存在が森内になってしまうため、それまでジャニーズJr.の中心人物だった山下智久含む「Four Tops」のファンの間では、森内の加入を反対する者が非常に多かった。そして、父親である森進一の公式サイトの掲示板に苦情の書き込みが殺到。その結果、掲示板が閉鎖に追い込まれるという事態が起こっている。
森内本人も当時を述懐し、「本当に嫌われてたんですよ、昔の俺は。急にポンっと入って前に出てきたっていうのもあるんでしょうけど、あまりにも嫌ってくる」と語っている。(『MUSICA』2012年9月号)
2003年11月30日に発売された雑誌『BUBKA』(2004年1月号)にて、当時まだ15歳(中学3年生)の未成年であった森内の、喫煙を示唆する写真、ベッドに女性と上半身裸で寝ている写真などが掲載され、一大スキャンダルとなる。
これにより、事務所はペナルティとして、NEWSからの脱退と謹慎処分を森内に課した。
このスキャンダルは父親の逆鱗にも触れ、中学の成績も落第寸前であったため、学業を優先すべく、2003年12月18日より芸能活動を休止することとなった。その後も事務所からは、「高校を卒業するくらいまでは(事務所に)戻れない」と言われたため、退所の道を選んだ。(ただし、父親の森進一とジャニー喜多川は古くからの親友なので、森内がスキャンダルから退所に至った後も、両者の仲は良好だった)
共通の友人と共に、RIZEの金子ノブアキと食事をする機会があり、ライブに誘われる。後日、初めてRIZEのライブを見て感動し、ロックに目覚めて自分もバンドをやりたいという思いが生まれる。
高校1年の冬、「音楽で生きていく。バンド活動に専念したい」と言って学校を辞めようとした所、森進一は激怒。高校の先生にも会いに行き、「息子を学校に留めるよう説得して欲しい」と頼んだが、結局森内は高校を1年一杯で中退した。森進一はこれを機に森内を勘当し、「お前一人で生きていけ!」と家から追い出す。(2人は数年後に和解)
森内は自活を開始し、青山のスナックで厨房周りのアルバイトをしながら、大阪の音楽学校に定期的に通ってギターやパソコンを習う。そして2004年末頃、慶應義塾時代の友人2人と、エレクトーン、クリアギター、ボーカルの3人編成のバンド「CoM(Chivalry of Music)」を組み、マルーン5のカバーなど、R&Bやバラード曲中心のライブ活動を始める。森内はボーカルを担当した(翌2005年に解散)。
2005年3月、両親の離婚により母・森昌子(本名:森田昌子)に親権が移り、「森田貴寛」の名義を2012年初頭まで通名として使用した(戸籍上は森内貴寛のまま)。なお、2人の弟の親権は父・森進一が持っている(養育権は母親)。
2005年4月、バンド「ONE OK ROCK」を結成したばかりのToruが共通の友人を介してCoMのライブを観に訪れ、Takaの声と歌唱力に衝撃を受け、その場でボーカルに勧誘。日に何度も届くメールの他、次のライブやバイト先にまで現れるToruの熱意に押し切られる形でONE OK ROCKの練習に参加してみると、自分が本来求めていたバンド像(初めてライブハウスで見た時のRIZE)に近いものを感じ、スタジオに通うようになる。
2005年5月、ONE OK ROCKに賭ける決意を固めて正式に加入し、「Taka」の名でボーカルを担当。都内を中心にライブ活動を重ねる。
翌2006年に大手芸能事務所「アミューズ」に所属し、同年7月26日にインディーズでCDデビュー。更に翌2007年4月25日には、シングル『内秘心書』でメジャーCDデビューも果たした。
2009年4月、メンバーのALEXが不祥事でバンドを脱退。同年秋、残った4人で活動を再開し、2010年2月に発表したシングル『完全感覚Dreamer』が、初のオリコントップ10入りを果たす。続いて6月に出したアルバム『Nicheシンドローム』が高評価を得て、11月には初の武道館ライブを敢行した。
2011年7月下旬に、Perfumeの“あ~ちゃん”こと西脇綾香との熱愛が発覚。続いて2014年5月にはNMB48の山本彩との熱愛話も持ち上がった。2018年春から2019年夏までは浅田舞と交際していた。
Takaは結成当初から他のメンバーに「絶対世界へ連れて行くから」と言い切っていた。その言葉通り、ハイエースに機材を積んで自分たちで運転し、日本中のライブハウスを回る所から、ライブを重ねるごとに会場も少しづつ大きくなり、結成5年目に武道館公演、2012年にはアリーナツアー、2014年には横浜スタジアム2DAYSと、着実に目標を達成していった。
そして海外公演も、2012年のアジア3都市を皮切りに、2013年にはヨーロッパ・アジアツアー、2014年には北米のワープド・ツアー’14に参加。北米から南米、ヨーロッパは前年の4ヶ国から10ヶ国へとロシアまで範囲を広げ、大型バスに寝泊まりしながら国を移動し、10日に9本のペースでライブをこなすツアーを敢行した。
2013年から海外レコーディングの準備を始め、自ら何度も渡米して複数のプロデューサーにコンタクトを取り、話を進めた。2014年はメンバー全員で渡米しレコーディングに3ヶ月を費やし、ワープド・ツアー(米音楽フェスティバル)、横浜スタジアム2DAYSを挟んで更に秋にまた渡米し、数曲録音した。
こうして結成10年目の2015年2月、全曲US録音の7thアルバム『35xxxv』をリリース。オリコン週間チャートでCDとしては初の1位、World Music Awardsで初登場4位を記録した。
2015年7月18日、ONE OK ROCKとVansとのコラボシューズを発売。Takaが1~12の数字をモチーフにしてVansのスニーカー「SLIP-ON」をデザインした。
情報提供・コメント