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チョナン・カン

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デビュー:2001.04.13
デビュー曲:愛の唄 ~チョンマル サランヘヨ~(2002.6.26)
「チョナン・カン」ハングル語:초난강

「チョナン・カン」は草彅剛の韓国関連で使用する芸名。

2001年4月13日、草彅の韓国関連の活動についての番組『チョナン・カン』がフジテレビ系列で放送され、これを機に韓国への芸能活動を開始した。当時、韓国では日本文化が厳しく制限されており、日本で知名度抜群の草彅が無名の状況下で、また、日本において、韓流ブームはまだ起きていない時代であった。

「チョナン・カン」は韓国関連での草彅の芸名でもあり、当番組は本人の冠番組にあたる。
草彅が多忙な中で熱心に韓国語の勉強をしてきていることが周囲から語られており、同年に当番組のプロデューサー荒井昭博は「とにかく、楽屋に行けば参考書を開いてます」、「彼は心構え凄いです」と発言している。
草彅の韓国語の語学力は、同時通訳ができるほどの極めて高いレベルのものとなった。また、草彅は韓国においても人気が有り、SMAPの草彅剛というよりもチョナン・カンがいるSMAPというくらいの認知度に至った。草彅は日韓の交流に大きく貢献してきている。

番組『チョナン・カン』の放送開始前、スタッフが草彅の氏名「草彅 剛」の漢字を韓国語の音読みで発音しようとして、「チョナン・カン」と口にしたのがきっかけで、そのまま、芸名・同番組名として採用に至った。なお、実際には「彅」は日本の国字のため韓国語の音読みは存在せず、「剛」の韓国語の音読みは「カン」よりも「ガン」の発音のほうが近い。

番組『チョナン・カン』開始のきっかけとして、草彅は韓国映画『接続 ザ・コンタクト』をテレビで鑑賞してから韓国語の台詞をよく聞き取ったりなどしており、韓国語の響きなどに惹かれていて、自らの意思によって韓国を取り上げる番組の開始に至った。

2002年6月21日、番組『チョナン・カン』が全日本テレビ番組製作社連盟の「ATP賞 テレビ記者賞」を受賞。同年夏、チョナン・カン名義のシングル『愛の唄 ~チョンマル サランヘヨ~』が日韓でリリースされた。同曲の歌詞は草彅が日本語の歌詞を韓国語に訳したもの。同曲は番組『チョナン・カン』のテーマソングや、草彅が出演する日本ケンタッキー・フライド・チキン 韓国風ツイスターのCMソングに採用。
同年12月、チョナン・カン名義の韓国語会話本『チョンマルブック』がシリーズで刊行されベストセラーとなった。

2003年6月8日、TBS系列の報道特別番組にて韓国の盧武鉉ノ・ムヒョン大統領と韓国語で対談し、その模様が日韓同時放映された。その際、草彅は通訳の大役も任されている。また、この翌日には、盧大統領と対談した草彅について、皇后美智子さまに「韓国語はいかがでしたか」と尋ねられた盧大統領夫人の権良淑クォン・ヤンスクが、「上手でしたよ」と応じている。なお、皇后は草彅が2008年に李明博イ・ミョンバク大統領と韓国語で対談していることも把握している。2011年に皇后が草彅主演の映画『僕と妻の1778の物語』を草彅とともに鑑賞し、草彅の演技を称賛した際の草彅と皇后の交流が世間で話題になったとき、皇后は草彅が日韓交流のかけ橋として活動していることにも関心を持っている件についてもメディアが報じた。この交流の際、皇后は当時、韓国語を2001年から10年間勉強している草彅へ、「とても素晴らしいことですね」と賛辞を呈している。

2004年1月14日、東京・南麻布の韓国大使館を表敬訪問し、趙世衡チョ・セヒョン大使と韓国語で対談した。
その際、草彅主演の全編韓国語の邦画『ホテル ビーナス』が完成したことを伝えている。それを受け、趙大使は「日韓の文化交流のために、大きく貢献することだと思います」と発言した。
また、趙大使は「草彅さんが韓国語が上手だということは、韓国人は皆知っています」と述べた。

フジテレビ系『チョナン・カン』が2004年3月19日放送終了。
同番組は『チョナン・カン2』として2004年4月16日より再開され、2010年3月20日に終了している。

2004年、フジテレビ主演ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』が全放送回の平均視聴率20%を超え、最終回の視聴率27.1%を記録。
同年3月に公開された主演映画『ホテル ビーナス』が世界四大映画祭の「モスクワ国際映画祭 コンペティション・パースペクティブ部門 最優秀賞」を受賞。 
同年8月に『24時間テレビ』のメインパーソナリティを務めたときには、韓国人俳優がゲストで来た際に通訳も務めた。
同年10月、草彅は日経BPの「日本イノベーター大賞 ジャパンクール賞」を受賞。ジャパンクール賞は同年新設された賞で、世界の人々を惹きつける政治的価値観や文化的魅力、いわゆるソフトパワーに貢献した人物という観点から選考される。草彅は日韓の文化交流への大いな貢献が認められての受賞。「草彅氏のこうした活動は、日本にいる韓国人にとって励みになっている」などの選考理由もあった。

2005年7月にリリースされたSMAPのアルバム『SAMPLE BANG!』収録の草彅ソロ曲『ハヌル ~ヨン ウォナン サラン~ (そら ~永遠の愛~)』に、韓国の男性歌手グループ「SHINHWA神話・シンファ」のメンバーのイ・ミヌ(作詞担当)とシン・ヘソン(コーラス担当)の二人が参加。草彅とその二人でインタビューも受け、日韓の大スターのコラボについて双方の国のメディアで取り上げられた。同曲で草彅は訳詞も担当し、第1節は韓国語の歌詞を日本語に訳したもので、第2節はそのまま韓国語で歌っている。

2006年8月29日、主演ドラマ『海峡を渡るバイオリン』が韓国放送協会主催「ソウル・ドラマアワーズ2006 短編ドラマ部門 最優秀作品賞」を受賞により、草彅はソウルの授賞式で壇上にて流暢な韓国語でスピーチをし、拍手喝采を浴びた。翌月、韓国において最大規模のスクリーン数で上映された主演映画『日本沈没』が初登場1位を記録し、邦画として史上初の快挙となった。

2008年4月21日、TBS系列の報道特別番組にて韓国の李明博大統領と韓国語で対談し、その模様が放映された。草彅は通訳の大役も任された。この対談の際、李大統領から、文化交流の「日韓文化大使」就任を要請されている。韓国大統領と対談するのは、盧武鉉前大統領と二代にわたってのことである。

2010年、主演連続ドラマ『冬のサクラ』に韓国の女優チェ・ジウが友情出演し、共演。チェ・ジウは当ドラマの内容に共感し、日韓文化交流の先駆け的存在の草彅が主演であるからということで、ノーギャラで構わないから出演したいと自ら述べており、忙しい合間を縫っての撮影が実現した。

2011年2月、韓国でシリーズ累計360万部以上という異例のベストセラーを記録したイ・チョルファンの韓国語著書を草彅が訳した翻訳本で、韓国の実話小説和訳短編集『月の街 山の街』が刊行された。これについてチェ・ジウが草彅に感心しきりだった。

2012年1月18日、日本の経済産業大臣から、韓国の麗水市で同年5月12日から8月12日まで開催される麗水国際博覧会の日本館サポーターに任命された。

2012年11月~2013年2月、主演舞台『ぼくに炎の戦車を』で日本語と韓国語の台詞を用いる役を務めた。本作は、1924年の朝鮮・京城近郊を舞台に、日韓の国籍を超えた友情を軸にした物語で、「草彅剛の俳優としての類い稀な才能を再確認するのに十分な作品」と評価された。
2012年は東京・大阪で上演し、大盛況のうちに幕を閉じ、2013年はソウルで上演し、初日終演時、スタンディングオベーションの習慣がほとんどない韓国で、満員の総立ちになった観客から盛大な拍手と大歓声を浴び、感無量の面持ちで声援に応えた。韓国では異例のスタンディングオベーションは5分以上にも及んだ。韓国演劇の殿堂といわれる国立劇場(韓国最大規模の収容人数)でのソウル公演もチケットは全6公演すべて完売しており、絶賛の声のなかで幕を下ろした。
なお、草彅は1月27日に韓国入りして空港で大勢の草彅ファンの熱い歓待を受け、また、劇場の舞台裏には稽古中から連日、現地の草彅ファンから食事などの大量の差し入れ(草彅のスタッフへの分も考慮された約100人分の食事やデザートなどで、草彅の似顔絵入りの特製パッケージが用いられていた)が届くという異例のもてなしも受けたことも報じられた。




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