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スリー・ヤンキース

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デビュー:1978.07.25
デビュー曲:ザ・ベースボール

フジテレビの女子野球番組「ニューヤンキース」企画で公募した中から選抜した女性3人グループ。同番組終了の1979年3月解散。

[メンバー]

  • 橋本美砂子(リーダー、ニューヤンキースのキャプテン。愛称:ミチャ。ファースト担当)
  • 川崎志津子(愛称:アンパン。セカンド担当)
  • 松尾貴子(ニューヤンキースの副キャプテン。愛称:ブヒ。キャッチャー担当)

1978年3月、フジテレビの『土曜グランドスペシャル』枠の女子野球番組『ニューヤンキース』のために、同名の女子野球チームが結成。視聴者から選手を一般公募し、約2,500人の応募者の中から選ばれた中学生から社会人までの35名(12歳から22歳まで、平均年齢18歳)を女子野球選手として鍛え、芸能人の野球チームと対戦させるという内容で、同年4月から放映が開始された。

この番組は、当時人気だった女子プロレスの「ビューティ・ペア」の野球版を狙って企画されたもので、コーチには元・女子プロ野球選手の近藤信子(元「サロンパス」)と中村桂子(元「三共」)が就任。ユニホームや道具、遠征費の一部を援助して盛り上げたのがジャニーズ事務所だった。試合会場は、この年に開場した横浜スタジアムが主に使用された。

選ばれた選手の中には、ヤクルト・スワローズや西武ライオンズの監督を務めた広岡達朗の長女も居たが、チームが芸能活動を始めると、父である広岡の意向で退団させられてしまった。

土曜日の19:30~20:54というゴールデンタイム放映、1978年8月18日から26日にかけてアメリカ遠征など、かなり力の入った企画ではあったが、萩本欽一の充電期間中の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のつなぎ番組だった上、当時高視聴率のお化け番組だった『クイズダービー』、『8時だョ!全員集合』(共にTBS)を筆頭に、『連想ゲーム』、『刑事コロンボ』(共にNHK総合)、当時無名の松平健をスターダムに押し上げた『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)、更に本家本元のプロ野球である日本テレビの土曜ナイターといった強力な裏番組勢に押され、平均視聴率は10%にも届かなかった。しかも、『ニューヤンキース』自体もフジテレビの土曜ナイターで休止される頻度が高かった。

半年後の9月から欽ドンが再開されるのに伴い、土・日の夕方へと移行。
その後、メンバーから選抜した3人を「スリー・ヤンキース」としてジャニーズ事務所から歌手デビューさせたり、女子プロレスにならって悪役軍団(「ブラックイーグル」)を登場させるなどのテコ入れを行ったが実らず、1年後の1979年3月には放映終了。スリー・ヤンキースも解散となった。

ニューヤンキースの中で最も人気があって売れたのは、後に女優&歌手デビューした花井その子であった(円谷プロダクション所属)。野球チームとしての「ニューヤンキース」は1980年代もしばらく存続し、毎月数回の試合を行っていた。

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