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渋谷系音楽

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渋谷系音楽

1980年代の渋谷はパルコ、SHIBUYA109などが象徴するように若者のファッションを牽引する場となっていたが、80年代の後期にはタワーレコード、WAVE、HMVといった大規模な外資系輸入レコード店(CDショップ)の企業戦略により、主力購買ターゲット層の動向は音楽に於いても流行を全国に送り出すスタンスを持ち始めていた。

当初これらの大型店舗の販売展開は輸入盤を主軸としてきたが、メディアがレコードからCDに移行する頃からインディーズをはじめとする邦楽CDを店内にディスプレイすることで購買意欲を高め、フリッパーズ・ギター解散後のコーネリアス(小山田圭吾)と小沢健二、Pizzicato Five(ピチカート・ファイブ)、ORIGINAL LOVE(オリジナル・ラブ)らを取り上げた独自のチャートを発表し、差別化を図っていった。

60年代からの洋楽にインスパイアされ、洋楽的なエッセンスを採り入れたミュージシャンたちが発信する音楽は、DJ文化の影響を受けたサンプリング技術を背景に様々な音源を再構築する手法でキャッチーなポップスを生み出し、1993(平成5)年頃から「渋谷系」音楽と呼ばれ、クラブ系やネオ・アコースティックなサウンドを奏でていた。こうしたムーブメントは、アーティストのビジュアル面を創造する信藤三雄率いるコンテンポラリー・プロダクションの支持を得て発展し、小山田圭吾がプロデュースするTRATTORIA(トラットリア)やラブ・タンバリンズ、カヒミ・カリィ所属のCRUE-L RECORDS(クルーエル・レコード)などのレーベル設立が盛んになっていった。

ファッションばかりではなく音楽のトレンド発祥地となった渋谷の街が醸し出す一種独特の雰囲気を「渋谷系」と総括し、情報誌各紙が特集を組むようになるが、1990年代後半になるとブームは冷め、「渋谷系」という名称は使われなくなっていった。(2001年12月23日)




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