サンディ。1964年11月30日生まれ(58歳)、東京都足立区出身。
改名歴:酒井妙(旧姓時の本名)→ サンディ菅原(ラジオDJ時代)→ Sandy(ジャニーズ時代)→ 酒井妙→ 麻生奈津子→ あさいゆきの。
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本名の「酒井妙」名義で芸能界デビュー。
ニッポン放送の深夜番組『武田久美子・パイオニアサウンドハイスクール』にて、武田と「東大生が選ぶアイドルコンテスト」の優勝者の中の1人・遠藤美和(後の遠藤みわ)の2名と共に、1年間レギュラーDJを務めた。
その後、女性アイドルグループ「オレンジ・シスターズ」のメンバーオーディションに合格。同グループへは「サンディ菅原」を経て「Sandy」の芸名で所属し、1984年3月21日にシングル『サマーホリデー』でレコードデビュー。
当時の所属事務所は、女性の所属者が極めて少ない「ジャニーズ事務所」。多くのレギュラー番組を持ち、レコードもEP2枚、LP1枚を発表したが、「それぞれの道を進みたい」との理由で1985年に解散した。(「オレンジ・シスターズ ディスコグラフィ」参照)
1986年から「アクターズエージェンシー」に所属し、本名の「酒井妙」名義で女優として活動開始。翌1987年に「麻生奈津子」に改名。テレビドラマだけでなく、舞台、ラジオ番組、バラエティ番組、リポーターなどもレギュラーで務めた。
また、俳優座の女優・野中マリ子による演技指導所「野中塾」の塾生として、8年間に渡って演技を学んだ他、1992年からはアクターズエージェンシーの同僚女優・小牧彩里(後の小牧かやの)と共に、演劇集団「アーイズ」を結成し、舞台のプロデュース活動も行った。アーイズの脚本は小牧彩里が「KAYANO」名義で手がけ、演出は「勝田演劇事務所」主宰の勝田安彦が務めた。
その後「オフィス裕子」に移籍し、芸名を「あさいゆきの」に改名。更に「(有)アンクルベイビー」へと移籍した。そして日米合作映画『外人(開国)』のオーディションに、「外人から見た日本人のイメージ」と言われて合格するも、円高によってお蔵入りしてしまい、世界デビューのきっかけを逃がした。
しかし国内では、テレビドラマ、映画、舞台などで主演を務めたこともあった。
1997年より不倫関係にあった明治大学ラグビー部OBの若狭平和(「ベースボール・マガジン社」取締役)が、1998年になって当時の妻との離婚が成立。そして4年後の2002年に若狭と結婚した。
あさいは翌2003年に妊娠し、「子育てに専念したい」との意向で芸能活動を休業。2004年、39歳の時に女児を授かった。
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