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佐藤寛之

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さとうひろゆき。1970年11月2日生まれ(51歳)、千葉県鎌ヶ谷市初富地区出身。
本名:佐藤寛之(父親の好きな作家・五木寛之から引用して命名)。元「光GENJI」のメンバー。愛称:ヒロくん、ひろべ。(「ひろべ」は諸星和己が命名)

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中学1年の1983年5月1日(日曜日)にジャニーズ事務所に入所。初仕事は、1984年4月5日、東京・芝「郵便貯金ホール」で行われた少年隊の1日5回公演のコンサートだった。

光GENJIのメンバーとして1987年8月19日にレコードデビュー。光GENJI時代のイメージカラーは水色だった。

光GENJIのメンバーの中では年齢が上下どちらから数えてもちょうど4番目という中間の立ち位置で、更に温厚な人柄を思わせる外見などから、「秀才」、「優等生」的なキャラクターを強調されることが多く、ソロ曲にもそれを裏付けるかのようなバラード曲が多かった。
しかし、実際のトークでは毒舌が目立ち、自伝の中でも毒舌ぶりを窺わせる記事があり、光GENJI時代に「これが嫌だった、あれが嫌だった」と冗談交じりに言うことが多かった。
正反対なキャラクターの諸星和己とは仲が良く、諸星のソロライブにゲスト出演したりしている。

また、佐藤敦啓(後の「佐藤アツヒロ」)とも非常に仲が良く、コンサートで2人一緒に男闘呼組の曲をカバーしたり、寛之のバスケットボールチーム「NICE」にも、敦啓が所属したりしていた。
SMAPのメンバーの中では、やはり正反対なキャラクターである中居正広と、プライベートでよく遊ぶ仲だった。

1994年8月31日、大沢樹生の脱退意思を知り、「光GENJIは7人でなければ意味がない」と思い自らも脱退を決意。大沢への相談などは一切なく、独断により、大沢と共に光GENJIを脱退し、ジャニーズ事務所を退所。その後はソロでCDデビューし、ライブ活動やイベントを中心に活動。

2000年にバンド「P.O.E」を結成し、ボーカル、ギター、キーボードを担当。

2006年7月、個人事務所「株式会社 Genji-Guruma」を設立。代表は佐藤の父親で、社名の由来は、光GENJIの「GENJI」と、佐藤家の家紋「源氏車」から。
(なお、2012年1月22日放送のTBSのバラエティ番組『クイズ☆タレント名鑑』に佐藤が出演した際、「現在はロックバンド『ゲンジグルマ』のヴォーカルとして活動中」というテロップが出たが、これは誤り。あくまでも所属事務所の社名であって、バンド名ではない)

2011年6月、諸星和己、山本淳一と共に、TUBEの東日本大震災復興応援歌『RESTART』に参加した。

2013年、正木慎也とのユニット「DUO」を結成。2014年9月23日、シングル『ふたつのライン』をリリース。

2018年5月29日、群馬県沼田市の「沼田市観光アンバサダー」に就任。きっかけは、佐藤の祖父母が沼田に住み、両親も沼田生まれ。佐藤家の墓も沼田市にあるなど、佐藤自身も子供の頃からよく沼田に訪れていたため。




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