さいとうやすお。1976年9月24日生まれ。2013年10月5日、交通事故死。37歳没。横浜市鶴見区矢向出身。
本名:齋藤恭央。別名義:桜塚やっくん、植田浩望
横浜市立矢向小学校、同市立矢向中学校、日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。
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18歳の時に「15歳」と3歳若く偽ってジャニーズ事務所に入所。KinKi Kidsのバックで踊ったこともあった。
ジャニーズ退所後は、19歳~21歳の3年間、俳優・新藤栄作と映画監督・中田信一郎主宰の「劇団無現(後のアクティング・ラボ無現)」に入団して芝居の基礎を学ぶ。
1998年には、人力舎主宰のお笑い専門学校「スクールJCA」に入学。1999年10月から2005年4月まで、お笑いコンビ「あばれヌンチャク」(所属:石井光三オフィス、業務提携:オフィス★怪人社)として活動。その間、2000年にはアダルト専門チャンネル「パラダイスTV」にて、『尿意の鉄人』のメインMCを務めた。
2005年より「桜塚やっくん」の芸名で女装芸人になり、翌2006年からは歌手活動も開始(トップコート所属)。
2006年12月31日、小林幸子の応援ゲストとして『第57回 NHK紅白歌合戦』に出演し、持ち歌『1000%SOざくね?』の一部を歌唱。
2007年3月、「第44回(2006年度)ゴールデン・アロー賞」の新人賞に選ばれる。
実家の家業は横浜市鶴見区矢向の旋盤加工業「有限会社 齋藤製作所」であり、2007年9月1日放送のバラエティ番組『エンタの神様』にて、社長である父親の顔写真と共に実家を宣伝した。
2008年から2010年まで、「植田浩望」名義での俳優活動も並行して行う。
2010年10月、独立して個人事務所「めめじょ」を設立。女装ビジュアルバンド「美女♂men Vlossom (後の美女♂men Z)」を結成、「日本女装協会」も立ち上げて会長を務めた。
同年12月9日発売の単行本『美女♂men』(青月社)にて小説家デビュー。
2010年7月末に、江東区有明のホテルで泥酔した有名私立女子大生に性的暴行を働いたとして、2011年3月24日に準強姦容疑で書類送検される。
2013年10月6日に熊本県荒尾市の「あらおシティモール」で開催されるコンサートにバンド「美女♂men Z」で出演するため、桜塚自らが運転するワンボックスカーにマネージャーを含めた5名が乗って移動していた際、小雨の降る10月5日午後4時50分頃、山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線、美祢インターチェンジと美祢西インターチェンジ間、伊佐パーキングエリアを約2km過ぎた辺りの下り坂の右カーブにて、中央分離帯に衝突する単独事故を起こし、車外に出た所を後続車にはねられ、心肺停止状態に陥る。
美祢市立病院に救急搬送され、30分の蘇生手術が行われるも、同日午後6時16分、頭蓋骨陥没と心臓破裂により37歳の若さで急逝。マネージャーの砂守孝多郎氏(55歳)も同じく車外に出た所をはねられ、即死。残る3名の内、2名は軽傷を負った。
桜塚は、真家ひろみや高島忠夫と同じく、川崎市多摩区の高級公園墓地「春秋苑」に眠っている。戒名は「禅徳院恭覺智聡居士」。
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