70-80年代アイドル・芸能・サブカル考察サイト

高橋和也

コメント

分類歴代ソロ

たかはしかずや。1969年5月20日生まれ(53歳)、東京都中野区出身、世田谷区千歳烏山育ち。
本名・旧芸名:高橋一也(読み同じ)。作詞・作曲時の別名義:高橋ヤズカ、ヤズカ。カントリーを歌う際の別名義:高橋HANK和也。
男闘呼組」の元メンバー。ベーシストの樋渡尚崇ひわたりなおたかは従兄弟。叔父は「中村八大クインテット」、「中村八大とモダン・トリオ」のベーシストだった永井啓二。

[関連ソロ・ユニット]

中学2年生の時にジャニーズ事務所に入所。高橋は歌手に憧れ、友人と一緒にジャニーズへ履歴書を送ったが、書類審査に通ったのは友人だけだった。しかし高橋は友人に付き添ってオーディション会場へ押しかけ、「自分も受けさせてくれ」と直談判した結果、合格となった。(「隣の中学の女生徒が履歴書を送ったのがきっかけ」という文献は誤り)

『週刊テレビ番組』(1985年3月2日~8日号、東京ポスト)にて、初めて雑誌の表紙に掲載される。
『POTATO』(1986年6月号、学研)にて、初めて雑誌の単独表紙を飾る。

1984年10月12日放映開始のTBSドラマ『東中学3年5組』出演。

1984年12月、「男闘呼組」の前身バンド「東京男組(旧名:東京)」に加入。

1988年8月24日、バンドグループ「男闘呼組」のメンバーとしてレコードデビュー。
同年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。翌1989年には、日本武道館で男闘呼組の単独コンサートも行った。

1993年に授かり婚。相手の女性は、高橋がジャニーズに入ってから初めてサインを求めて来たファンの女性。以来、10年近くずっと交際していた。なお、2人が出会った場所(サインを求められた場所)は、原宿にあったジャニーズの合宿所の近くの、山手線の線路の上に架かる細い橋「水無橋みずなしばし」だった。

本名の「一也」の由来は、ウエスタン好きの父・高橋三千男が小坂一也のファンだったため。このエピソードが縁で、1990年、男闘呼組が『夜のヒットスタジオ』に出演した際(「DON’T SLEEP」歌唱)、小坂が応援ゲストとして駆け付けたこともあった。

1993年6月に男闘呼組のメンバー4人で出演した舞台『スラブ・ボーイズ』の終了後に、高橋が事務所に対して反抗的な態度を取ったため、副社長であり実質的な経営権を握っていたメリー喜多川を激怒させてしまい、事務所から解雇され、同時に「男闘呼組」も解散となった。

以後、高橋は俳優として多数の作品に出演するようになったものの、長らくジャニーズ事務所のタレントとは共演することが出来ない状態にあったが、1997年4月3日に放送された日本テレビの単発ドラマ『院内感染』にて、実に4年ぶりとなるジャニーズタレント(岡本健一)との共演が実現した。しかしその後も、2003年のテレビドラマ『ショコラ』で安田章大、2016年の大河ドラマ『真田丸』で再び岡本と共演したきりで、基本的にジャニーズタレントと共演する機会は極めて少ない。

1993年の「男闘呼組」解散後、約半年間のアメリカ放浪を経て、同年12月にバンド「KAZUYA AND ROCK FOLK」を率い、新宿ルミネホールACT(後の「ルミネ the よしもと」)で開催した初ソロコンサートで芸能界復帰。翌1994年2月には、自主制作CDアルバム『高橋和也の如く』も発売した。

以降、数々のバンドを結成して音楽活動を継続。一方で、俳優専門事務所「アルファーエージェンシー」に新しく所属したことで、1994年に舞台『NEVER SAY DRAEM』、Vシネマ『KAMIKAZE TAXI』にて俳優活動も本格的に開始した。ジャニーズ事務所を解雇されたタレントとしては異例の、メディア露出の多さが目立つ。

また、俳優以外にも声優として、韓国俳優のイ・ビョンホンの吹き替えなどをしている。
40歳頃から、父親の影響でカントリーミュージックに傾倒し、俳優業の傍らでカントリー歌手としての活動も開始。特にHank Williams(ハンク・ウィリアムズ)を敬愛してやまず、カントリーの活動をする際には自らの名前にも「高橋HANK和也」とミドルネームを付けるようになった。

6児の父。上から、耕太郎(こうたろう。前田耕陽の名前から引用。都立永山高校卒)、愛子(あいこ)、友太(ゆうた)、海斗(かいと)、飛鳥(あすか)、桃子(ももこ)、全てメディアで公表。
この内、長男以外の5人が、揃って新日本石油の「エネオス エネゴリ エネファーム」のCMに出演した。 また、耕太郎と海斗は音楽ユニット「Tokyo Plastic Boy」を結成して活動。 長女の高橋愛子はモデルとして活動している。

山梨県大月市の大自然の中に別荘を所有している。 高橋のカントリーバンド「The Driving Cowboys」の2019年のアルバム『LOVE from the MOUNTAIN』はこの別荘でレコーディングされた。
2020年のコロナウイルス感染拡大による自粛期間中も、高橋はこの別荘にずっと篭っていた。 前田耕陽も訪れたことがある。 別荘の中にはジュークボックスが置いてあり、田原俊彦『哀愁でいと』、ラッツ&スター『め組のひと』、松田聖子中森明菜小泉今日子、杉山清貴&オメガトライブ『ふたりの夏物語』などのシングルレコードを入れてある。




歴代ソロ

 

情報提供・コメント

タイトルとURLをコピーしました