1987年後半から1988年8月にかけてジャニーズ事務所に所属した男性アイドルグループ。SMAPの前身。
1987年11月26日発売の光GENJIの2ndシングル『ガラスの十代』のバックで、スケートボードに乗るグループとして結成。
[メンバー:後のSMAP]
中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾
[メンバー:後の平家派、およびTOKIO]
国分太一(初期のSMAPサポートメンバー → 後期のスケートボーイズ → 平家派 → TOKIOの順で参加)
[メンバー:後の平家派]
松原一平(リーダー)、松元治郎、岩佐克次、岡田賢一郎、佐藤敬、石川徹、渡辺一久、米山武志、東昌孝、佐藤功、小山田英樹、長谷川文高
[その他のメンバー]
菅沼貴之、他数名
1988年4月、各アイドル誌にて、主要メンバー12名で正式に初お披露目(中居、木村、稲垣、森、草彅、香取、松原、松元、岩佐、岡田、佐藤敬、石川)。キャッチコピーは、「Sports Music Assemble People」、「SMAP時代のスケートボーイズ」。
続けて、「トンボ学生服」のCMにも12名で出演。各アイドル誌で紹介されたのは最後までこの12名のみだったが、実際には歌番組やコンサート、アイドル野球大会などでグループに参加した者も居るため、メンバー数は延べ20名近くに上る。
1988年6月21日発売の光GENJIの4thシングル『Diamondハリケーン』でも、3~7名ほどのメンバーがスケートボードで走行。ローラースケートで走行する時もあった。
同年6月10日放送の『ミュージックステーション』では、光GENJIの赤坂晃と佐藤敦啓(後の「佐藤アツヒロ」)が義務教育中の中学3年生ということで夜の生放送番組に出演できなかったため、SMAP(1988年4月結成)の中居と木村、スケートボーイズから抜粋された岩佐、佐藤敬、渡辺、米山の計6名が、「敦啓PEOPLE」のユニット名でバックダンサーとして初登場。木村と佐藤敬の2名はマイクを握って歌唱もした。
更に別の日の『ミュージックステーション』にも、やはり出演できなかた赤坂と敦啓の穴埋めとして、5名の「敦啓PEOPLE」(岩佐は欠席)でバックダンサーとして登場。この時も木村と佐藤敬だけはマイクを握って歌った。
また、同年6月15日放送の『夜のヒットスタジオ』では、欠席した木村の代役として、古株ジャニーズJr.の桑名兼司がサポート参加。この時は6名全員でマイクを握った。
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