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ニューミュージック

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ニューミュージック

70年安保敗北により学生運動は沈静化に向かい、フォークの主流は政治思想から若者自らの心象風景を採りあげた抒情的な視点に移行し、吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年/昭和47)、井上陽水「傘がない」(1972年/昭和47)、かぐや姫「神田川」(1973年/昭和48)といったヒット曲が生まれた。井上陽水のアルバム「氷の世界」(1973年/昭和48)が日本初のミリオン・セールを記録し、フォークはメジャーの階段を駈け登っていた。

1973(昭和48)年に「ひこうき雲」で本格的にデビューしたユーミンこと荒井(松任谷)由美は、はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂とフォー・ジョー・ハーフの林立夫、松任谷正隆が結成したサウンド・プロデュース・ワーク集団のキャラメル・ママ(ティン・パン・アレイに発展)を迎え入れ、自らを中産階級サウンドと呼び、既存のフォークとはまったく異なるスタイルで登場した。これまでの抒情的フォークを四畳半フォークと評したユーミン・サウンドは、洗練された都会の風景を想起させる新感覚のポップス、まさにニューミュージックであった。
1975(昭和50)年は「ルージュの伝言」「あの日に帰りたい」のヒット、「卒業写真」「『いちご白書』をもう一度」の楽曲提供、ユーミンスタイルを確立したアルバム「コバルト・アワー」の発売とまさに彼女の年であった。

1960年代後半から混然としていたフォーク/ロックはニューミュージックという新たなカテゴリに包括され、大滝詠一が設立したナイアガラ・レーベルからシュガー・ベイブ(山下達郎・大貫妙子)がデビュー、ヤマハ主催のポプコンを足がかりに中島みゆき「時代」がヒット、ポップなサウンドが高い評価を受けたチューリップ「心の旅」など多種多様なポップスが誕生し、吉田拓郎作曲の森進一「襟裳岬」、小椋佳作詞作曲の布施あきら「シクラメンのかほり」など歌謡界への楽曲提供も行われた。
同年、吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるがフォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント)を設立。カウンターカルチャーとして若い世代がリードした音楽文化はニューミュージックという名で音楽市場の主流を占めるまでに発展していった。

ユーミンがデビューした1973(昭和48)年に始まりYMOとサザンオールスターズがデビューした1978(昭和53)年を以て帰結したと分類されるニューミュージックは、日本のポップスに自意識を目覚めさせる役割を果たし、現在音楽シーンで活躍する多くのアーティストを輩出、今日のJ-POPに直結した系譜に位置しているといえるだろう。(2001年12月23日)




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