高校在学中に新宿でモデルクラブにスカウトされ、1982年高校卒業後に、にっかつロマンポルノ「セーラー服色情飼育」で女優デビュー。1983年3月「Blow The Night 夜をぶっとばせ」でメジャーに、同年、シブがき隊主演の東映映画「ヘッドフォン・ララバイ」に出演。
小学館「GORO」を筆頭にグラビアアイドルとしても活躍し、写真集「ふり向かないで」発表。
その後、フジテレビ系「オレたちひょうきん族」で「ひょうきんベストテン」での中森明菜役をはじめ、バラエティー、ドラマなどで活躍。1984年には「春感ムスメ」で歌手デビュー。1992年にはにっかつ創立80周年記念ビデオ作品「女猫・美しき復讐者」の主演に抜擢。代表作に「トライアングルブルー」「季節はずれの海岸物語」「痛快!OL通り」など。
1995年にはヤクルトスワローズの川崎投手との熱愛が発覚。その後破局。1997年5月9日(金)午後7時、かつて交際した川崎憲次郎投手が住む目黒区駒場四丁目のコスモマンション(七階建て)から、飛び降り自殺。同年7月13日に青年実業家と挙式予定だったことが翌日の5月10日に判明。享年32歳。
シングル
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「春感ムスメ」CBS/SONY EP:07SH1497 84.05.01
春感ムスメ 岡田富美子/水谷竜緒/水谷竜緒
星の歌を聴きながら 岡田富美子/かまやつひろし/水谷竜緒
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「TOKYOふられ小町」CBS/SONY EP:07SH1568 84.10.21
TOKYOふられ小町 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
悪女志願 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
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「仔猫の決心」CBS/SONY EP:07SH1621 85..
※「仔猫の決心」は最初「シャネル・スーツの仔猫チャン」というタイトルで唄っていた曲。
仔猫の決心 魚住勉/水谷公生/水谷公生
メディテーション・別れ 魚住勉/水谷公生/水谷公生
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「星屑のシネマ」CBS/SONY EP:07SH1674 85.08.25
星屑のシネマ 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
遠い約束 内藤綾子/水谷公生/水谷公生
アルバム
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『天使のデザート』CBS/SONY LP:28AH1755 84.07.21
※「なのにあいつ」は渡辺真知子のリメイク。(『海につれていって』(’78)収録)
A1.小麦色喰べましょう 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
2.バイバイ・ラブ 松本通照/松本通照/水谷公生
3.これきり哀話 内藤綾子・丹古晴己/水谷公生/水谷公生
4.春感ムスメ 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
5.ガラスの夏にララバイ 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
B1.5分の1だけ浮気して 森雪之丞/水谷公生/水谷公生
2.きっとワルツが踊れるわ 森雪之丞/中崎英也/水谷公生
3.なのにあいつ 伊藤アキラ/渡辺真知子/水谷公生
4.星の歌を聴きながら 岡田富美子/かまやつひろし/水谷公生
5.ヨコハマ愛哀デート 岡田富美子/梶田柾也/水谷公生
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『メディテーション』CBS/SONY LP:28AH1849 85.04.21
A1.バイバイバイ・ライライライ 岡田富美子/富山ヒロ/水谷公生
2.涙草紙 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
3.モンローチックに I love you 森雪之丞/山梨鐐平/水谷公生
4.うぬぼれ 内藤綾子/水谷公生/水谷公生
5.TOKYOふられ小町 岡田富美子/水谷公生/水谷公生
B1.仔猫の決心 魚住勉/水谷公生/水谷公生
2.似たものどうし 内藤綾子/水谷公生/水谷公生
3.夢の楽園 森雪之丞/梶田柾也/水谷公生
4.恋はネコ科 森雪之丞/都倉俊一/都倉俊一
5.メディテーション・別れ 魚住勉/水谷公生/水谷公生
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『天使のデザート』CBS/SONY LD:58LM-27 84.09.21
※ビデオディスコグラフィ
1.小麦色喰べましょう
2.5分の1だけ浮気して
3.これきり哀話
4.ガラスの夏にララバイ
5.星の歌を聴きながら
6.なのにあいつ
7.春感ムスメ
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『ストレンジ・パラダイス』CBS/SONY LD:68LM-45 85.05.22
※ビデオディスコグラフィ
1.モンローチックに I love you
2.仔猫の決心
3.うぬぼれ
4.バイバイバイ・ライライライ
5.涙草紙
6.悪女志願
7.TOKYOふられ小町
可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は、日本の女優。本名、久我 知子(くが ともこ)。 東京都杉並区高円寺出身。 生い立ち 2人姉妹で3歳年上の姉がいる。幼少の頃に両親が離婚、1年ほど母親と住んだ後に父親に引き取られる。子供の頃は両親の離婚と父親の仕事で転校を繰り返した。可愛自身、自分の性格を「感化されやすい」と言っており、転校先でもすぐに馴染んだようである。その分、転校の時は友達と別れるのが辛く、寄せ書きを見てはよく涙ぐんでいた。この頃、父親に「転校はもうしたくない」と言っており、転校のなかった港区立三田中学校時代を「落ち着いた気持ちで過ごせた」「すごく暖かい生活だった」と語っている。 中学時代はバレーボール部に所属。その後、都内の女子高に進学。高校時代はレストランでアルバイトをしていた。幼少の頃は比較的大人しかったようだが徐々に元気で活発な少女に育っていったようである。また母親とは両親の離婚から生き別れになっており、姉が母親代わりだったと、19歳の時に可愛自身が語っている。
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