グループ・サウンズ

グループ・サウンズ

1950年代中期からイギリスではジャズやフォークなどをベースとしたスキッフル・ブームが巻き起こり、1956年発売のロニー・ドネガン&スキッフル・グループ(LONNIE DONEGAN & His Skiffle Group) 「ロック・アイランド・ライン(Rock Island Line)」が大ヒットし、リバプールの高校生だったジョン・レノンはこのブームに触発され、ビートルズの前身バンド「クオリーメン(THE QUARRY MEN)」を結成している。

イングランド北西部に位置する港湾都市であるリバプールはロンドンよりも早く海外の文化に触れる環境にあり、アメリカ産ロックンロールの洗礼を受けたスキッフルは、リバプールの地で「マージー・ビート」と称するイギリス製ロックンロールに発展、その中でいち早く頭角を現したのが、ビートルズであった。これを受けて、アニマルズ、ローリング・ストーンズ、キンクスといったバンドが各地で活動をはじめ、イギリス全土にムーブメントは浸透していった。

1964年、アメリカに渡ったビートルズ旋風の日本への上陸は、ベンチャーズからエレキの手ほどきを受け、ビートルズ・サウンドを受け入れる素地が出来上がった、1966(昭和41)年6月のビートルズ来日を以て本格的にはじまるが、マージー・ビートに代表されるブリティッシュ・サウンド(日本ではリバプール・サウンドと総称)の影響は、来日前の段階で既にスパイダース「フリフリ」(1965年[昭和40]5月)とブルー・コメッツ「青い瞳(英語版)」(1966年[昭和41]3月)に見受けられる。

新機軸の演奏スタイルを予感させる彼らのサウンドは、1966(昭和41)年にグループ・サウンズ(GS)の原型を造り上げ、スパイダースは、世界市場を意識した「トーキョー・サウンド」を標榜し、国産ロック・オリジナル楽曲第1号「フリフリ」やファズ・サウンドの導入を試み、ブルー・コメッツは、レコード会社専属作家制の壁を破り、テストレコーディングから1年以上経てフリー作家の手による「青い瞳(日本語版)」をリリースしている。

先行するふたつのバンドを追って、1967(昭和42)年デビューのタイガースは、2nd.シングル「シーサイド・バウンド」で開花し、テンプターズは「神様お願い」でタイガースの対抗馬として注目を集め、リバプール・サウンドを消化した音楽シーンはグループ・サウンズと呼ばれるようになる。ブームの最盛期を象徴するかのように、ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が日本レコード大賞(1967年/昭和42)を受賞し、カーナビーツ、ワイルド・ワンズ、ゴールデン・カップス、モップス、オックスなど代表的なバンドを続々と輩出し、長髪問題、NHKのGS出演拒否といった社会現象も生み出している。

日本の音楽文化に多くの資産をもたらしたGSであったが、1969(昭和44)年頃になると、人気は一気に下降線をたどることになる。要因として、ロカビリー時代からの図式であるコマーシャリズムによる歌謡曲路線への転向、所属プロによるお仕着せの王子様コスチュームに身を包みアイドル扱いを受ける葛藤、牽引役だったブルー・コメッツの「脱GS宣言」、B級GSの乱発デビュー、マスコミ煽動によるGS衰退報道、各バンドの主要メンバー脱退などが挙げられるが、プロダクション管理体制下のグループ・サウンズは、押し寄せる大衆のアンチ商業主義、ニューロックへの指向にはまったく対応できない閉鎖的なシステムに陥っていたのだ。(2001年12月11日)

情報提供・コメント

タイトルとURLをコピーしました