
アメリカ音楽を翻訳していた1960年代の日本の音楽パノラマを俯瞰すると、一方ではロカビリー、カヴァー・ポップス、エレキ・インスト、グループ・サウンズの音源が浸透し、他方ではフォークソングの支流が静かに波紋を広げながら舞台の本流に押し寄せて、波のいただきがやがて全景を呑み込む奔流を眺望することができる。「カレッジ・フォーク」と「関西フォーク」によるモダン・フォークの台頭である。
このフォークの潮流は、アメリカで1950年代に起きたフォークソングのリバイバルまで遡る。カントリー&ウエスタンを基盤として古くから伝承されてきた民謡や民衆たちの風土からフォークソングが生まれ、ウディ・ガスリーやピート・シーガーたちに継承され、民衆や労働者の歌はフーテナニー(聴衆参加)の開催や人種差別など社会の矛盾を取り上げた運動へと発展していった。1958年にキングストン・トリオ「トム・ドゥーリー」がヒットし、フォークソングのリバイバルはモダン・フォークとして確立、1959年には野外コンサート「ニューポート・フォーク・フェスティバル」が開催され、ブラザーズ・フォー、ジョーン・バズエ、ボブ・ディラン、PPM(ピーター・ポール&マリー)らが後続することになる。
モダン・フォークは、人種差別などの公民権運動、ケネディ大統領暗殺、泥沼化するベトナム戦争、徴兵制、冷戦関係などの社会問題を背景に持ちながら、若者を中心にキャンパスにも広がりを見せ、ブラザーズ・フォー(ワシントン大学生)に代表されるカレッジ・フォークが登場する。
日本に於いても、1961(昭和36)年キングストン・トリオ、1962(昭和37)年ブラザーズ・フォーの来日公演などが契機となり、東京の大学を中心としたカレッジ・フォークが本格化し、PPMフォロワーズ(小室等在籍)、モダン・フォーク・カルテット(マイク真木在籍)、カッペーズなどが出演した「フーテナニー’63」が開催され、フォークは定着していったが、社会に対するプロテストとしての役割は担えずにいた。
1966(昭和41)年にはマイク真木が歌う「バラが咲いた」やブロードサイド・フォー(黒沢久雄在籍)「若者たち」、1967(昭和42)年の森山良子「この広い野原いっぱい」などのヒット曲を生むが、日本国内は東京オリンピック開催と高度経済成長に支えられた好景気にあり、アメリカで培われてきた社会意識は薄められてしまい、日本のフォークはファッション界のVANに擁護されてアイビー・スタイルと結びつき、アマチュア主導型からプロの手による商業主義への接近という道をたどり、対極にあるはずの既存体制に収斂されてしまう。(2001年12月13日)
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