魅惑のニューリズム

カリプソ

カリプソカリブ海のトリニダード島に19世紀から伝わる音楽。ジャマイカ島の黒人労働者が、船舶にバナナを積み込む時に唄う労働歌をアレンジしたハリー・ベラフォンテ「Banana Boat Song(バナナ・ボート・ソング)」が1956(昭和31)年にアメリカでヒット。このカヴァー曲を翌年の4月に浜村美智子がビクターより「バナナ・ボート」でリリース。冒頭の「デイ・オー、イデデ、イデデ~♪」が特徴的なこの楽曲は大ヒットし、浜村美智子は「カリプソ娘」の異名をとる。
彼女は大阪出身で、美空ひばりに憧れて上京。ジャズ喫茶や駐留軍キャンプで歌う傍ら、画家と写真家のモデルをし、「18歳の抵抗」という特集記事などで注目を集め、ビクターからスカウト。「バナナ・ボート」のヒットで渡米し、アメリカのテレビ出演やレコードリリースを行い、海外進出の先駆的な活躍をみせた。東宝映画「ジャズ娘に栄光あれ」(1958[昭和33]年1月)の主演やカリプソ・スタイルという彼女の髪型が流行(1957[昭和32]年)。アルバム「夜のラテン」を残している。

ドドンパ

マンボ・ブームによりラテン・リズムが注目され、ドドンパという和製ダンス・リズムが登場する。フィリピンのバンドがマンボを演奏した時にこのリズムが生まれたというのが始まりで、足をカクンと折る独特の踊りが流行した。
1961(昭和36)の1月にリリースした、パンチの効いた歌声で歌った渡辺マリの2ndシングル「東京ドドンパ娘」が大ヒット。同年上映の日活「東京ドドンパ娘」、大映京都「ドドンパ酔虎伝」にも映画主演している。彼女はのど自慢に出ていたところをスカウトされ、東京キューバンボーイズの専属歌手となる。以後はあまりヒット曲に恵まれず「黒い蝶のブルース」を最後に引退。福岡でレストラン、クラブを経営、 1985(昭和60)年には六本木に「渡辺マリの店」をオープンした。
その後ドドンパは、1976(昭和51)年に桜たまこ「東京娘」で久々にヒット。 2001(平成13)年に発売した井上陽水のカバーシングル集のアルバム「UNITED COVER」で「東京ドドンパ娘」が収録され、当時を知るものには懐かしさを、はじめて聴くものには昭和の名曲を伝えた。

ツイスト

1955(昭和30)年のマンボ・スタイルのブーム以来、レコード業界はニューリズムの開拓を模索していたが、最大の成功を収めたリズムは、 チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト」の輸入を以て、 1962(昭和37)年に到来したツイスト・ブームであろう。当時の教本に「両足を約30センチ位の間隔でひらき、膝を軽く曲げ、身体(特にヒップ)を右から左へとねじり動かす」とある通り、ロックンロールに合わせ腰をひねらす単純明快なダンスである。
現在は俳優の藤木孝は、東宝芸能学校出身であったことから得意なダンスを活かし、ツイストのリズムを採り入れた「ツイストNO.1」やプレスリーの「ロッカ・フラ・ベイビー」をアレンジした「ツイスト・フラ・ベイビー」のヒットで「ツイスト男」と呼ばれる、ツイスト・ブームの立役者となる。
当時の赤坂の高級クラブや六本木のクラブ、モダン・ジャズ喫茶などの巷では腰をひねるダンスが浸透し、小林旭「アキラのツイスト」や美空ひばり「ひばりのツイスト」をも巻き込んだ一大ブームであった。

関連記事

トラックバック

コメントはこちらから投稿してください。

これまでの「魅惑のニューリズム」のフィードバック数 2 件

コメント

  1. マーブル より:

    少々お伺いしたのですが、この時のツイストブームが後のロックンローラー族の踊りに繋がっていくのでしょうか?

この記事にコメントする