『飯田久彦』『高松秀晴』『柚木公一』。
一部のマスコミではロカビリー・ブームの衰退が報道されていたが、11回目を迎えた「日劇ウエスタン・カーニバル」(1960/昭和35)年は活況を呈し、「ロカビリー三人男」「三人ひろし」に続き、新鋭の三人がスリー・ビートとしてデビューした。
飯田久彦は1961年に「悲しき街角」でデビューし、続く「花咲く街角」で街角男の異名をとり、「ルイジアナ・ママ」のヒット曲で知られている。のちに日本ビクターのディレクターに転向し、岩崎宏美、ピンクレディーなどを担当。また、小泉今日子、SMAP、河村隆一等のプロデュースも担当。1999年株式会社テイチクエンタテインメント社長、その後会長に就任。現在はエイベックス・エンタテインメント取締役。
更新日: 2014年10月31日
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